月刊アイソス 2010年8月号(No.153) 感想(2.5)

当シリーズ第3回の記事はまだ出来上がっていないのですが、
先に第2回(2010/08/08)の記事について補足しておきます。
「ISO9001の要求事項には、外注品不良率の基準値なんて書いていない
 ゆえに、審査員から外注品の不良率について
 『何とかするように』などと言われる筋合いは無い。」
という主旨の記事を書きました。
しかし、もしかしたら私がアイソスの記事を曲解していたのかもしれません。
審査員は、一体何を指して「何とかするように」と言ったのでしょうか?
それが重要なのですが、アイソスの記事からは
それを明確に読み取ることは出来ません。
なので私は「外注品の不良率の高さ」を指しているのだと
理解したのですが、別の可能性もあることに気がつきました。
もし審査員が、
「外注品の不良率が高いことが社内で問題視されているのに、
 なかなか効果的な改善策を打てずにいる。」
ことを指して「何とかするように」と言ったのであれば、
これは決して筋違いな指摘ではありません。
"マネジメントシステム"や"PDCA"といった概念は、
課題解決のスキーム」という一面を強く持っています。
課題の存在が明らかであるにもかかわらず
ずっと改善されないままでは、"機能不全"と言われても仕方ありません。
(もっとも、中野医療器は試行錯誤をしているわけですから、
 改善の姿勢すら見えない企業よりははるかに優秀です。)
審査員の中には、どこかの企業の生産現場で
品質管理業務を経験された方もいらっしゃいます。
現場を知っているのは結構なのですが、
稀に「古巣の基準」に基づいて
受審企業に注文をつけてくるケースがあるので困ります。
それはもはやISOの審査ではありません。
審査員の発言の意図がどこにあるのか、
その根拠は規格のどの条文なのか、
受審企業は常に考える必要があります。
私も自社の審査を数週間後に控えているので、
改めて規格を読み返すことで気を引き締めています。

月刊アイソス 2010年8月号(No.153) 感想(再開するかもしれないお知らせ)

3日前に無期限延期を告知したばかりの当シリーズですが、
アイソス編集部を通じて宇野氏より回答をいただけたので、
再開出来る可能性が出てまいりました。
回りくどい言い方ですみません。
なぜ再開をはっきい宣言出来ないかと言いますと・・・
もともとこの記事は、組織が余りうまくいっていない中で
インタビューに応じていただき、雑誌への掲載も認めていただけたものです。
そのため具体的な内容を伏せている部分も多く、
回りくどい書き方になってしまったそうです。
そんな中、私が(アイソス編集部を通じて)宇野氏より教えていただいた内容を
ブログに載せてしまうと、中野医療器・宇野氏・アイソス編集部に
ご迷惑をかけてしまう可能性があります。
そのため、出来あがった記事はいつも以上に推敲を重ね、
最終的には宇野氏に掲載の許可をたうえで公開したいと考えております。
お蔵入りになる可能性も十分ありますが、ご了承ください。

月刊アイソス 2010年8月号(No.153) 感想(中断のお知らせ)

2010/08/01,08 と2回にわたって記事を書いてきました当シリーズですが、
まことに勝手ながら第3回は無期限延期とさせていただきます。
(もともと不定期連載ですけど・・・)
記事内に矛盾(※1)と思われる個所があり、
アイソス編集部に問い合わせをしているのですが梨の礫(※2)です。
事実が曖昧なまま、自分に都合の良いように解釈して
感想を書くわけにはいかないので確認したのですが、
ちょっと残念です。
なお、2010/08/09 の記事については、
企業実務編集部へ私の意見を投書したところ、
編集長より返信を頂けました。
もし近い将来、企業実務にて
「成長企業の中間管理職・幹部候補の育成」といった内容の
記事が書かれたら、私のリクエストが通ったのだと思われます。
特定業種向けの専門誌の編集部というのは、
一体どれぐらいの人数で運営されていて、
一日にどれぐらいの問い合わせを読者から受けているのでしょうね。
1日に何百通もメールが届くのであれば、数人規模では対処しきれなくても
仕方ないとは思うのですが。
※1 営業部門の品質目標設定と活動の実態についてです。
※2 「なしのつぶて」と読みます。
   こういう字を書くんですね~ はじめて知りました。

月刊企業実務 2010年8月号(No.679) 感想

こんばんは。アイソス8月号の感想を書き終えないうちに
9月号が届いてしまってやや焦り気味の柴田です。
とりあえず9月号は見なかったことにして、
今回は月刊企業実務8月号(No.679)の感想を書きます。
(たぶんこれも数日中に9月号が届きます・・・)
取り上げる記事は、連載企画である
<管理部門の「業務成果を改善」するマネジメント術 第11回> P86~88
です。
装飾品商社であるA社は、創業以来、受注拡大を最優先し、
時流にのって急成長。 しかし、その反動が・・・
というお話です。
急成長した企業において、組織(管理)体制がその規模にマッチせず、
いたるところに無駄が発生してしまうのはよくあることです。
記事内では、「(A社における)その最たるものが在庫管理」としています。
これまで、倉庫の(=在庫の)管理は営業部が担当し、
仕入先との価格交渉や入荷(検収)、出荷といった手続きも
各営業マンが営業業務の片手間に行っていました。
その結果、以下のような弊害が出てきました。
(1)入出荷の記録忘れが多いため、在庫数のデータと実態が乖離し、納期遅れが頻発
(2)受注したのとは違う商品を顧客に届けてしまう出荷ミスが頻発
(3)各営業マンがバラバラに仕入をしていたため、同じ仕入れ先に対しても、
 スケールメリットを活かした価格交渉が出来ない
(4)万が一営業マンが架空発注をしたとしても、チェック出来ない
(5)所定の伝票に依らない口頭の仕入発注もあり、経理側で支払予定額を把握できない
当然、顧客からのクレームが相次ぐようになりました。
実際、社長が久しぶりに倉庫を訪れてみると、
不良在庫が溜まり、足の踏み場もないほど乱雑に段ボールが積み上げられ、
整然と整理整頓された以前の姿とは様変わりしていたそうです。
そこで社長は、いままで売上一辺倒で管理部門を軽視していた姿勢を改め
物流課」と「購買課」を新設することで上述の問題を解決しました。
(いかにも管理部門のための雑誌だなぁ。)
・・・というのが記事前半の要旨です。
(後半では、実際にどう物流課と購買課を機能させていったのかが書かれています。)
ここまで読んで、私は非常に違和感を覚えました。
「この会社には"営業部長"はいないのか!?」ということです。
もし社長が営業部長を兼任していたとしたら、事態が悪化する前に
気付いていたはずでしょうから、おそらく独立したポストだと思われます。
上述の問題点の、少なくとも(1)・(2)・(3)の3つについては、
「営業部員がやっていることで、(別の、あるいは全体の)営業部員が被害を受けている。」
という構図が当てはまります。
つまり、原因と結果が「営業部」内で完結している事象だ、ということです。
そのような問題を解決するために社長が出てこなくてはいけないのだとしたら、
営業部長は一体何のためにいるのでしょう?
通常、多くの会社では、営業成績を上げることが営業部長に課せられた至上命題です。
その為には、受注拡大を図る一方、言うまでも無く"ロスを抑える"こともまた重要です。
顧客からのクレームの情報は、当然営業部長のところにも届くことでしょう。
そしてその原因が「営業部員の在庫管理の甘さ」にあったのだとしたら、
その解決に真っ先に乗り出さなくてはいけないのは、営業部長その人のはずです。
解決の手段は何でもいいんです。
「部下達に、入出荷帳の迅速かつ正確な記載を徹底させる。」でもいいですし、
「在庫管理を専門とする新部署の設置を社長に訴える。」でも構いません。
別に、営業部内だけで解決しなくてはいけないなんてルールはありませんから。
大事なのは、そういった課題解決行為に営業部長自身が主体的に乗り出すことです。
営業部員がやったことで他の営業部員が困っているのに
当の本人達(およびその長)が問題を放置している状態なんて、
営業部外の人達から見たら馬鹿みたいじゃないですか。
(3)については、営業マン一人一人は大して問題だとも思っていないかもしれません。
(問題の存在そのものに気付いていない可能性すらあります。)
しかし、営業部全体を見渡し、その成績に責任を持つ営業部長にとっては、
間違いなく「自分事」のはずです。
A社が抱える本当の問題は、決して、
「規模に見合った管理体制が整っていない」ことではありません。
ズバリ、
「社長の分身として各部署を管理監督する"中間管理職"が育っていない」ことです。
そのことを改善しない限り、各部署内で起こる問題に対し、
この先もいちいち社長が乗り出して解決しなくてはいけません。
A社が今後も継続的に成長を続けるのであれば、
(そのこと自体は喜ばしいことのはずなのに、)
いずれ破綻することは自明です。
社長一人の目と手が届く範囲は限られていますから。
なお、(4)と(5)の問題については、営業部以外の部署も絡んだ事象ですので、
営業部長を含め、営業部内の人間にとっては「それが問題である」という
認識すらなくても仕方がありません。
そういった問題を解決するために、部長より上の人間
(A社の場合は社長)が乗り出してくることは普通の事だと思います。

月刊アイソス 2010年8月号(No.153) 感想(2)

2010/08/01の記事の続きです。
中野医療器株式会社のQMSの(現状の)問題点は他にもあります。
外注部品の不良率が改善しない。
 ・コストダウンの要求が厳しく、外注先を価格の安いところへ変えた。
 ・たくさん作って利益を確保するのに精一杯で、改善している暇などないのだろう。
  「不良が見つかったら返品してくれればいいですよ。」というスタンス。
 ・たまに指導にも行っているが、効果は無い。
 ・不良品は受入検査で止めている。
  そこで"見えないコスト"がかかっているのは承知している。
この点は、審査員からも「何とかするように」と言われているそうなのですが、
はたしてそうでしょうか?
「安かろう悪かろう」というのは、ある意味経済の原則であり、避けがたいものです。
たとえ信頼できる外注先であっても、受入検査をしないわけにはいかないので
そのコストは減ることはあってもゼロにはなりません。
ただ、受入検査で不良を発見できなかったら問題です。
外注部品を自社製品に組み込んで、完成してから出荷直前に不良に気付いた場合、
組み立てにかけた手間と時間が無駄になります。
これほど悲しい無駄はありません。
検査の手間というのは、流通の過程で、
結局どこかで誰かが負担しなくてはいけないものです。
それを外注先にはさせず、自社で負うからその分価格が安くなっているわけです。
そういう意図ではないでしょうが、事実としてそうなっています。
中野医療器がまずやるべきことは、外注部品の不良率が高いことで、
どれだけのコストが自社内に発生しているかを、ちゃんと把握することでしょう。
「返品作業にかかる手間」も含め、「不良率が○%以内だったら発生しないはずのコスト」
を計算してみると良いと思います。
その結果、「現在の購入額は十分安く、検査作業を自社で負担しても黒字である。」
という答えが出たのであれば、何の問題もありません。
審査員からあれこれ言われす筋合いも無ければ、
自社の問題として改善する必要もありません。
逆に、「赤字だ」という答えが出たのであれば話は別です。
外注先と、
「うちに納入する前にこれだけの検査はちゃんとやってくれ。
 そのために価格が○円上がっても良い。」
と交渉をすべきです。
それが受け入れられ無かったら、受け入れてくれる外注先を探せば良いのです。
不良品対応というのは通常業務の中に埋没しがちで、
それゆえに「見えないコスト」と呼ばれたりすることもあります。
それをリアルな数字として計算するのは大変だと思いますが、
逆を言えばその大変な事をやってこそ「マネジメント」なわけですから、
なんとか取り組んで欲しいと思います。
ここで大事なのは、審査員の言うことを
全て真に受け、プレッシャーに感じる必要は無いということです。
別に規格は「外注品の不良率を○%以下に抑えなさい」なんてことを
要求はしていません
から。
もちろん低い方が望ましいのは当然ですが、
「では、どれだけ低ければ十分だと言えるのか?」は、
企業が自身の判断で決めて良いことです。
(外注先に「何らかの選定基準」を定めることは、規格要求事項の中にあります。)
だからといって、さしたる根拠もなく「今期は外注不良率○%減!」なんて
"もっともらしい"目標を立ててしまうと、
自分で自分の首を締めることになるので注意が必要です。
(目標を立てた後で、さらなるコストダウンが要求される可能性もありますから。)
「仕事の成果」とは、多くの場合複合的なものです。
一部だけを切り取って目標化すると、まず上手くいきません。
「目標の立て方」自体、本当は結構奥が深いはずなのですが、
そこを意識している企業は意外と少ないのかもしれません。
つづく。

ISO認証審査のあるべき姿とは?<番外編> ~ISOとは別の"審査"~

大地を守る会」という団体をご存知でしょうか?
生協と似ていて、有機野菜や自然食品の宅配サービスをしています。
以前、TVでここの「契約農家への抜き打ちチェック」が紹介されていました。
アポなしで契約農家を訪問し、農薬の使用量・使用時期・用途
契約通りか否かを調べるのです。
(これらの情報は消費者へ配られるカタログにも記載されます。)
帳簿を見て農薬の購買履歴をチェックし、
気になるものがあれば説明を求めます。
除草剤や殺虫剤を使わない契約の場合、実際に畑に行って
雑草が生えていて虫が付いていることを確認します。
そんなチェックを抜き打ちで何度もやっているのであれば、
消費者としては大変安心(信頼)できます。
(当然ですが、近所のスーパーより割高なうえに品数も少なく、生産量も限られています。)
ISOのような認証審査と大きく違うのは、
「審査する側へお金を払っているのは、受審側ではなく、消費者である。
という点です。
大地を守る会としては、農家の何らかの違反を見逃せば、
消費者からの信頼を失い、自分のビジネスが立ち行かなくなります。
だから受審側(農家)へは"消費者の代理人"として厳しい態度で臨むでしょうし、
それを受け入れる覚悟のある農家だけが契約に応じます。
類似のサービスは大地を守る会の他にもあるのでしょうが、
本来、「商社」というのは、程度の差こそあれ、
すべからくそのような機能を有しているべきです。
ある程度規模の大きい経済社会では、消費者は、
有名な大手メーカーを除き、なかなか生産者を選べません。
買い物の直接の相手は「小売業者」ですから、
「あそこが扱っている物なら安心だ。」という判断をすることになります。
つまり「信頼性チェック作業の代行(集約)」が行われるわけです。
同じ作用は、小売店が卸業者から仕入れる際にも働いていることでしょう。
誰がやるのかはともかく、流通のどこかの段階で
必ず誰か(あるいは皆)が「信頼性チェック」をしているはずです。
しかし、チェックを受ける生産者は、取引先ごとにチェックを受けるのは面倒です。
(チェックの基準は取引先ごとに違うはずですし。)
商社も、全ての生産者をチェックするのは大変です。
そこで、究極の「チェックの集約」としてISOがあります。
(そう意図して作られたのかどうかは分かりませんが。)
ISOなら世界共通の基準ですし、チェックも年一回で済みます。
たしかに生産側、仕入側の双方にとって便利ではありますが、
万能ではありません。
広範に適用可能であることを目指しているため、
チェックの内容はやはり大味であり、
末端消費者一人一人のニーズに応えきれているとは言えません。
やはり、流通業者(最終的には小売店)の判断での選別は重要です。
また、"立場の違い"もあります。
チェックと言うのは、「チェックする側」と「応じる側」
の2者によって行われるわけですが、現在のISOにおける認証機関は
「仕入側の、消費者に代わって生産者をチェックする」機能ではなく、
「生産側の、チェックに応じて自社体制を説明する手間を集約する」機能として
存在していると言えます。
生産者側から対価を受けて審査しているわけですから。
審査機関としては、対価を払ってくれるのは生産者(受審側)ですが、
同時に自らの説明により、仕入側、ひいては消費者を納得させなくてはいけません。
消費者からの信頼を失えば、結局は生産者も受審しようと思わなくなるでしょう。
現在のISOがそれだけの価値を発揮しているかは、少々疑問です。
10年後、20年後には、果たしてどうなっているでしょうか・・・

ISO認証審査のあるべき姿とは?<後編> ~審査というビジネスの付加価値とは~

2010/7/25の記事の続きです。
ISO業界では最近、「付加価値型審査」という言葉が流行っています。
どこの審査機関が言い出したことなのか分かりませんが、
ISO認証のブランド価値が低下している昨今、
顧客離れを食い止めるために発生したのでしょう。
しかし、その中身はよく分かりません。
一体、「(従来よりも)付加価値の高い審査」とは
どんな審査のことなのでしょうか。
審査員は助言(=コンサルティング行為)を禁じられているため、
たとえ審査中に「ここをこうしたらもっと良くなるのになぁ」と感じても、
そう口に出すことは出来ません。
(規格への適合性に関する事であれば別です。)
もっとも、たまに口に出す審査員がいるのは確かですが。
(残念ながらその内容が的外れなことも、少なくありません。)
この付加価値型審査について、月刊アイソスが多くの審査機関を対象に
興味深いアンケートを行っているので紹介します。(2010年1月号 No.146より)
「付加価値型審査、あるいは類似の名称の審査を提供しているか?
 していたらその中身とは?」
というアンケートです。
これに対し、多くの審査機関が「特にしていない。」という回答をしています。
日本化学キューエイ株式会社は特に態度が明確で、
ISO/IEC 17021に従った審査で、審査の類型区別があるはずがない。」
と回答しています。
また、新日本認証サービス株式会社は、
付加価値型審査といった名称のサービスを提供していない理由として、
「現制度化における第三者認証審査は「適合性審査」であること。
 "マネジメントシステム認証のような適合性評価は、
 それによって、組織、その顧客及び利害関係者に価値を提供する"
 (ISO/IEC 17021:2006 序文)のであって、意図的に
 「組織に役立つ審査」「付加価値の提供」を行うべきではないからです。」
と主張しています。
当たり前と言えば当たり前ですが、審査とは、受審企業が
規格要求事項を満たしているか否かをチェックするものであり、
それ以上でもそれ以下でもありません。
コンサルティングが出来ず、あくまでも規格を根拠として
「適合/不適合」の判断を下すことだけが仕事の審査員は、
一体どんな審査をすれば「この機関(審査員)に審査してもらってよかった。」
と顧客(受審企業)から言ってもらえるのでしょうか。
ISO認証審査の本質が「規格に対する適合/不適合のジャッジ」に
あるのだとしたら、やはりそこで勝負すべきでしょう。
それ以外の概念を持ち出してきては、もはやそれは認証審査ではありません。
ただ用意された記録書類に目を通し、チェックされている項目や
ハンコの漏れをチェックする審査も、適合性審査には違いありません。
しかし、それら「監査の証拠」を元として最終的に「適合/不適合」を判断する際に、
ちょっと考えてもらいたいことがあります。
それは、
「今ここで私が適合(or不適合)の判断を下すことは、
 この企業が自社のマネジメントシステムを(ISOに基づいて)成長させる上で、
 メリットがあることだろうか?

 そもそもこの会社は、(ISOに基づいて)マネジメントシステムを構築し、
 成長させることで、何を実現しようとしているのか?
 私が今から下そうとしているジャッジは、その助けになるものだろうか?
ということです。
こういったことを踏まえて出てきた結論であれば、
それがたとえ不適合であったとしても、
(あるいは観察事項やコメントかもしれませんが、)
受審企業としては「この人に審査してもらえてよかった。」
と思えます。
少なくとも私はそうです。
そのためにはまず、審査員は「この受審企業は、ISOを通じて何がしたいのか?
を理解しなくてはいけません。
これは受審企業によって千差万別だと思います。
逆に最悪なのは、規格に対する変な解釈の自説を押しつけたり、
規格とは別の基準(多くの場合、自分の経験に基づく自分だけの常識)
を持ち出して審査をしようとしたりする審査員です。
たとえ言っていることが正しくても、それはISOの審査ではありません。
その道のコンサルタントへの転職をお勧めします。

月刊アイソス 2010年8月号(No.153) 感想

ISOに関わる業務をしている者にとって、
何かと示唆に富む記事の多い月刊アイソス。
本日の当投稿は、8月号P62~65の
「5年後の品質マネジメントシステム」(連載第5回)
を読んでの感想文です。
取り上げられているのは中野医療器株式会社。
20名ほどの医療系製造業です。
ISO13485」という医療機器の品質マネジメント規格の認証を取得していますが、
製造しているのは家庭用の医療機器であり、手術用具メーカーほど
衛生的にシビアではないため、事実上ISO9001とあまり変わらないそうです。
記事を執筆しているのは、この会社をコンサルした
宇野通(株式会社ケー・シー・シー チーフコンサルタント)という方で、
中野医療器のQMSの、導入によるメリット、そして上手くいっていない点を
だいぶ踏み込んで書いています。
QMSを通じて業務改善に成功した点として、
生産計画(営業、製造現場、資材購買の連携など)が
 きちんと立てられるようになった。」
ということが挙げられています。
そんなことは、QMS以前に"企業として"やって当たり前でしょ、
と言ってしまえばそれまでなのですが、
なかなかそれが出来ていないのも中小企業の現実です。
「認証取得」という大義名分を振りかざすことで
きちんとした体制が作れたのなら、それはそれで良いことです。
社長クラスの高い視点から見たら
ISOも所詮は会社運営のためのツールの一つなのですから、
現場を動かすために「こう言えば効きそうだ」と思ったら
迷わず言えば良いのです。
「ISOで決めたルールに従っていろいろ準備するのは面倒ですが、
 ISOの審査のために困るというよりも、
 物を作って品質を確保するために必要です。
 ただし、ISO13485で必須だという意識がなかったら、
 崩れていくかもしれません。
 ちゃんと維持できているのは、ISOの効果だと思います。」
と書かれています。
上手くいっていない点として、まず「品質目標」が挙げられているのですが、
この部分は読んでいて引っ掛かるところが多くありました。
総務など管理系の部門は、無理矢理品質目標を設定してもしょうがないとの理由で
一度は品質目標から外したそうです。
極めて常識的な判断だと思います。(別に設定しても問題ではありませんが。)
ところが、審査員から「全ての部門で品質目標を設定しなくては不適合。」
と言われ、形式的なのを承知で設定したそうです。
これは大きな誤りです。
規格は「全ての部門で品質目標を設定しなさい」などと要求してはいません。
ISO13485:2003の規格原文5.4.1によると、
ISO9001と同じ「relevant funcions」となっています。
relevantとは「関連する」という意味であり、
ISO9001の日本語訳では、「しかるべき」となっています。
また、↓西沢総研のサイトでも、(ISO9001ですが、)
http://www.n-souken.com/news/news081003.html
規格改定の意図にまで踏み込んで「全ての部門ではない」ことが説明されています。
もちろん、企業が自主的にやるのは別に構わないのですが、
「不勉強な審査員と、その言いなりになる企業」が
経営判断から乖離した規格ごっこをしている印象を受けました。
(犠牲になるのは現場です。)
審査員からこのような"会社のためにならない"不適合を受けたら、
その場で言い返せずとも、しっかり調べてから
審査機関へ苦情を入れるのがよいでしょう。
つづく