表現の主体者

たまには時事ネタでも書いてみようと思います。

 

 

池上彰氏が、朝日新聞で連載しているコラムにおいて朝日新聞に批判的な内容を執筆したところ、掲載を拒否されて話題となっています。

(どうやら、結局は掲載されることになるようですが。)

 

 

このことで、朝日新聞社に対して「表現・言論の自由を侵害している」といった批判があるそうですが、この批判が正当なものなのか、私にはちょっと疑問です。

 

 

新聞というメディアを通じて何かを表現しようとしている「主体」は、「新聞社」と「個々の執筆者」のどちらなのでしょうか。

表現の主体者が新聞社自身であるなら、紙面を構成する「部品」としてどのような記事を取捨選択するかは、それこそ新聞社にとっての「表現の自由」のはずです。

また、朝日新聞が文句をつけた対象は、あくまでも(おそらくそれなりの)原稿料と交換に納品された池上彰氏の原稿です。

決して、池上彰氏個人の言論活動自体を妨害したわけではありません。

それを「言論弾圧」と呼ぶのは飛躍し過ぎかと思います。

 

 

もちろん、新聞社の外から新聞社の姿勢を批判することは万人の自由ですし、その新聞を買うかどうかも消費者の自由です。