誰の、誰による、誰のためのマネジメントシステム?

私は元々、「ISO事務局を設けてISO関連文書や記録の作成・管理を行う」というスタイルに懐疑的です。
特に品質(QMS)に関しては。
どんな文書を作れば、どんな記録を残せば、現場にとって有用なのか。
それを一番知っているのは現場のはずです。
現場から生み出された記録をどう分析し、
何をどうフィードバックすれば現場のレベルアップに繋がるのか
それを一番知っているのは現場のはずです。
正確に言うと、「現場の管理職」のはずです。
(それを知らない人が管理職のポストについていたら、ISO以前の問題です。)
2009年2月8日「管理と監視」に書いたこととも関連するのですが、
「マネジメントシステム」というのは
中間管理職が現場を、経営層が中間管理職を、
監督/管理するための仕組みではないでしょうか。
それらの方々が主体性を持って取り組まねば、
意味のある「マネジメント」など出来ません。
事務局に文書を作らせても無意味です。
というか、それらの方々の仕事はそもそも「マネジメント」することです。
中間管理職にとって有意義な現場の情報や
経営層にとって有意義な中間管理職の情報が吸い上げられ、
フィードバックを行えるような仕組みであることが重要です。
もっとも、文書作成や記録の記述には手間もかかります。
それが現場の業務の負担になってしまってはいけないので、
わざわざ事務局をいうものを設けるのでしょう。
しかし、「有効性」を考えた場合、やはり限界があると思います。
→to be continued.

続・PDCAの嘘。 やっぱり「CAPD」だ!

2008年11月03日(月)の記事の続編です。
最初は続編として書くつもりは全く無く、ふとした閃きだったのですが、
考えを深めていくうちに、結局「CAPD」というかねてからの持論にたどり着きました。
これからISO9001を取得しようという企業は、
自社の現在の品質管理体制に満足していない企業が多いはずです。
そして、経営者は「本当はもっとこういう品質管理をしたいのに・・・」という
強い”想い”を抱えていることでしょう。
それ自体は大変結構なことです。
しかし、最初に規定づくりをする段階で、その”想い”が先走ってはいけません。
以前読んだあるISOの本に、「規定を作る際は、今やってることをそのまま書きなさい。」
と書いてありました。
どんなに未成熟な企業であっても、
品質管理的なことを全く何もやっていないということは無いはず。
何かしているはずだから、それをそのまま書けばいいんだそうです。
最初それを読んだときは、「現状以上に背伸びした規定を作っても、どうせ出来ませんから。」
という程度の意味として解釈していましたが、、
実はもっと深い意味があることに気がつきました。
まさに、「マネジメントシステム」の本質にかかわる部分です。
経営者が
「ISO9001を導入し、今後はもっとレベルの高い品質管理をしていきたい。」
と考えていても、それをそのまま規定にしてはいけません。
現時点でそういう「レベルの高い品質管理」が出来ていないということは、
必ずどこかに「出来ない理由」があるはずなんです。
それを究明し、解決しないことには、現実は何も変わりません。
ISOは、ドラえもんのポケットではないんです。
「あんなこといいな、出来たらいいな」という青写真を掲げることも大事ではありますが、
規定とは違うところで、長期目標としてやるべきです。
現状を把握し、レビューし、問題点を浮き彫りにし、解決する。
それを繰り返すことこそが、「マネジメントシステム」のはずです。
そういう工程をすっとばして、いきなり理想論の「Plan」を掲げたところで、
昨日まで出来なかったことが急に出来るようにはるはずがないんです。絶対に。
そんなに簡単なものだったら、経営者なんて誰にでも務まります。
だから、経営者にとってどんなに不満だらけの「現状」だったとしても、
まずはそれをそのまま文書化してみましょう。
そして、関係者全員を集めて、どこに問題があるのか、
何がネックで理想に近づけずにいるのか、じっくりレビューしましょう。
全てはそこから始まるのです。
「P」から始めても、「継続的改善」は機能しません。
むしろ、本当のマネジメントシステムから遠ざかる行為だと思います。
「CAPD」でいきましょう。

企業の精神年齢

ISO9000で規格化されている「品質管理の手法」なんてのは、
なにも国際標準化機構が考え出したものではない。
品質の向上に血道を上げてきた、多くの先人たちの積み重ねた工夫
体系化・規格化したにすぎない。
(同時に、無個性化されてもいるが。)
なにもISO9000ばかりが品質管理ではないだろうが、
ある程度完成度の高い「理想形」をなしている。
そのため、自社の品質管理を未熟だと思っている企業が、
ISO9001取得活動を通して品質向上を目指すことがあるそうだが、
ちょっと待った、と言いたい。
たとえ「完成形はこうあるべき」というゴールが分かっていたとしても、
未熟な企業が一気に「その形」を目指すことなど可能なのだろうか?
最近子供が生まれた同僚が、ブログにこんなことを書いていた。
 「PCに向かってデジタルな仕事ばかりしていると、
  風邪を瞬時に直したり、自宅に瞬間移動したりしたくなる。
  PCでは簡単に出来ることだが、現実には不可能出。」
 「子供が急に成長し、明日しゃべり始めたりしたら悲しい。」
 「人はアナログな経験の積み重ねで成長する。」
結局のところ、企業の成長も似たようなものではなかろうか?
企業が成長するということは、成長するために必要な経験を積み重ねた結果でしかないのではないか。
他社が成長した姿をそのまま真似ることが、自社を成長させることではないはずだ。
あるISO9001の本に
 「標準化が出来る人に標準化は必要無く、
  標準化が出来ない人にこそ標準化は必要である。
  ISOはそういうジレンマを抱えている。」
と書いてあった。
規格で要求されているようなことが出来ていない会社というのは、
そもそも要求事項を理解する下地が無いのではないだろうか。
「こうしなさい」と言われて、「そうだ、こうすることが大事なんだ、必要なんだ」と理解できるのなら、
既にやっているはずである。
子供に詰め込み教育を施せば、たしかに知識は増えるはずだ。
しかし精神年齢はどうか?
人としての精神年齢は、年齢と共にしか成長しないものだ。
いや、正確に言えばそうでもない。
年齢の割に精神年齢が低い人も、中にはいる。
そういう人は、何が足りなかったのだろうか?
逆に、何を積み重ねれば人として成長できるのだろうか?
会社を本当に成長させるがそこにあると思う。
会社における”それ”を、短期間で経験させるメソッドがあったら・・・
普通の企業が十年かけて積み重ねる経験を、数年で積み重ねることが出来れば・・・
結果的に、数年でその企業は成熟した姿に近づくはずだ。

企業の5つの品質

「品質」ってなんだろう。
言葉としては、「この企業の製品はどれも品質が良い(悪い)」という使い方をする。
この用例においては、「品質」を「値段」や「ブランドイメージ」に置き換えても成立する。
「製品」、つまり何らかの仕事をした結果としての「成果物」の、
属性の一種として「品質」があることになる。
しかし、「属性」とは言い難いぐらい、「成果物」そのものと密接な関係にあるのも確かだ。
何もしないで寝ていれば、「成果物」はゼロで「品質」もゼロだ。
真面目にいい仕事をすれば、「成果物」が出来上がり「品質」も高い。
なので、「品質」≒「仕事の結果として産み出される成果物そのもの」と見なすことが出来る。
であれば、品質を左右するのは仕事の仕方そのものであり、ISOにおいてはそれを「プロセス」という。
企業の内部には、様々な仕事が存在します。
仕事が存在するということは、その成果として品質も存在します。
私はそれを5つに分類してみました。
顧客が対価を払うのは、値段が付けられる「製品」や「サービス」だけだが、
それ以外のところにも確かに「品質」は存在するのだ。
対価の対象となる「製品」や「サービス」を、「1次成果物」と言うことにしよう。
とにもかくにも、この品質を産み出さないことには商売にならない。
次に、顧客に提供されるが対価は払われない成果物を「2次成果物」と呼ぶことにします。
そんなものがあるのかって? よく考えてみて欲しい。
営業マンの態度が悪かったり、来客に対する接遇の仕方がいい加減だったりしたら、
当然、顧客に悪い印象を与えることになる。
その「印象」が仕事の成果物と言えるでしょう。
製品やサービスだけでなく、こういう品質の向上も目指さなければいけません。
次に、直接顧客には提供されない、内部の仕事の成果物を、「3次成果物」と呼ぶことにします。
これは、「仕事の仕方が効果的・効率的か否か」を指します。
同じ水準の製品を作り上げるにも、拙いやり方であれば、余計に時間とコストがかかってしまい、
結果として「割高な原価」、「長い納期」という成果物が生み出されてしまいます。
それでは、顧客からもらえる対価が同じでも、利益を圧迫してしまいます。
(納期に関しては、2次成果物に分類することも出来るかもしれません。)
また、直接生産活動に従事しない、間接部門の仕事の成果物を「4次成果物」と呼ぶことにしましょう。
生産活動の効率性をバックアップすることが彼等の仕事です。
これは「従業員満足度」としても測定可能ですし、3次成果物にも間接的に影響します。
企業の中にはもう一つ、「仕事」が残っています。
「経営」です。
経営者が下す各種「経営判断」の成果物としての、「会社の現状」自体が「5次成果物」です。
大雑把に5種類に分けてみました。
これらは、どんな企業にも存在するはずです。
この続きはまた後日。

CS考 ~調査対象編~

アンケート調査を有意義にするには、まず調査対象をどう設定し、
いかにその調査対象だけに答えてもらうかが大切だ。
対象外の人間の回答が混じってしまっては、信頼性が劣る。
上位の概念を外しては、末端の作業は的外れで無意味なものになってしまうので、
まずは目的からしっかり固めていこう。
そもそも、なぜ顧客満足度アンケートをしなくてはいけないのか?
顧客とは満足させなければいけないものであり、
もし現状で満足させられていないとしたら、改善が必要だからだ。
だから、調査により、顧客の不満点や改善要望点を洗い出さなければならない。
では、誰にアンケートを答えてもらえばよいだろうか?
「顧客」という大きなくくりではなく、もうちょっと詳細に考えてみよう。
それを考える上で大事なのが、
「顧客を満足させられなかった場合、どういう不都合が起こり得るのか?」だ。
考えられる不都合としては、
 ・次の注文が来ない(リピーターになっていただけない)」
 ・不満をもった顧客が、友人に「あそこは駄目だ」という情報を流す
ということが考えられる。
それを回避し、「リピーターになっていただく」、「良い情報を振りまいていただく」
という状態に持っていかなくてはならない。
そのために、顧客満足度についてわざわざアンケートをするのだ。
ここではひとまず、前者について考えてみよう。
顧客が1個人ではなく、複数の人間から成る団体や組織の場合、
必ず「意志決定権者」がいるはずである。
家族連れをターゲットとしたファミリーレストランではどうか。
家族の中に、きっと「どこに食べに行くか」を決定する人間がいるはずである。
おそらく父親か母親のどちらかだろう。
そして忘れてはいけないのが、「決定権者の決定を左右する意見具申者」である。
決定をするのは親でも、親は子供の希望を聞いて決めているのかもしれない。
この場合は、子供を満足させ、「あのお店にまた行きたい!」と言わせれば
家族ごとリピーターになってくれるに違いない。
であれば、満足していただけたか否かを把握しなくてはいけないのはその子供であり、
アンケートの対象としてその子供を選定するのが妥当である。
BtoBの取引においても同じで、
「次の受注をいただくためには、誰を満足させなければいけないのか?」が重要だ。
それは発注業者を選別する「意思決定権者」だ。
現場の担当者レベルで仲良くなっても、気付かないうちに
意思決定権者を不満にさせてしまったら、次の注文は来ない。
だが、ある程度大きな企業においては、意思決定権者は部長・役員クラスの偉い人で、
現場のことはよく分かってないこともある。
(それに、そんな偉い人たちに、アンケートに直接記入してもらうことは期待できない。)
では、その偉い人たちは、現場を知らないのになぜ決定を下せるのか?
それは、現場にいる「信頼出来る部下」からの報告を元に決めているからだ。
ファミレスの例でいうところの「子供」にあたる。
そういった人にアンケートを書いてもらうには、あらかじめ仕事をしながら
「この顧客の意思決定権者は誰か?」
「決定権者から信頼されている、意見具申者は誰か?」を見抜かなければならない。
「意見具申者」を見抜くのは結構難しい。
ただ単に「現場で一番肩書きが高い人」とは限らないからだ。
顧客企業の内部における、決定権者との人間関係を見極める必要がある。
これを見抜くのは営業の仕事である。
営業がそれを分かっていなければ、「誰に対して営業しているの?」と突っ込まれてしまうからだ。
アンケートを送る以前の問題として、営業が意思決定権者や意見具申者を
満足させられなければ、最初の受注すらもらえないからだ。
しかしやはり問題はある。
顧客満足度調査を行う上で、「営業から言われた通りに調査すればいいのか?」という問題である。
業務の性質上、営業からは独立している必要もあるはずだ。
営業からの報告とは別に、調査対象を選定する基準が必要なのかもしれない。

CS考

CS(Customer satisfaction)とは「顧客満足」のこと。
たいていの企業では、定期的に「顧客満足度」の調査を行い、
業務にフィードバックしているだろう。
少なくとも、しているつもりだろう。
しかし、ちゃんと有意義なフィードバックが出来ている企業は少ないのではないだろうか。
多くの場合、顧客満足度の測定は「アンケート」形式で行われる。
これをいかに作成するかで、有意義なデータが集められるかが決まる。
誰に書いてもらうかで、やはり有意義なデータが集められるかが決まる。
そして、いかに分析(集計ではない)するかで、有意義な情報が得られるかが決まる。
営業的な戦略が前提に無ければ、そもそも調査は始められないし、
学術的なアプローチも求められるので実は結構難しいはずなのだが、
そのことにすら気付かずに安易にやっている企業が多いと思う。
なんとなく作ってなんとなく集めて、表やグラフを作って終わり。
それで仕事をした気になっているケースが多いのではないだろうか。