文書の意味を見直そう <3> 「品質目標」

マニュアル、品質方針ときて、3つ目のテーマは品質目標です。
ヒネリも何もなくてすみません。
その分は内容で勝負・・・  できてるでしょうか?
ISO9001における品質目標には二つの意味があります。
品質方針の実現度合いの目標」と言い換えて問題ないものと、
「各製品プロジェクトにおける目標」です。
このブログでは、前者を取り上げたいとおもいます。
品質目標として、「クレーム○件以下」などを掲げている企業がありますが、
私は今まで、このような減点法的評価を前提とした
ネガティブな目標設定を、どうしても好きになれませんでした。
測定期間中に上限値をオーバーしてしまうと、
その時点で未達成が確定してしまい、モチベーションが下がります。
下手をすると、クレーム隠しにも繋がります。
品質目標に限らず、「目標」というものはもっとポジティブな指標の方が良いと思っていたのですが、
その理論的根拠が見つからずにずっとモヤモヤしていました。
最近、きわめてシンプルな理屈でその根拠を説明できるようになったので、
今回このブログで発表いたします。
「クレーム数」などのネガティブ指数は、「品質方針からの逸脱度」を表すものであり、
「品質方針の達成度」を表すものではないんですね、はい。
企業活動の本質は、「生産的活動」です。
世の中に対し、何らかの付加価値を産み出すことから全ては始まります。
クレームのような「ロス」を抑えることも大事ではありますが、第一義ではありません。
品質方針に従ってどれだけの付加価値を産み出せたのか、そちらの方が重要です。
そしてそれは、“減点法”で評価できるものではないはずです。
「逸脱度」しか測定しておらず、「達成度」の測定をしていなければ、
ある意味不適合ではないでしょうか。
(偏った解釈かもしれませんが。)
順番としては、
(1) 品質方針を定める
(2) 「品質方針を実現できていれば、その程度が○○の指数として表れるはずだ」と言えるような
  測定指標を考える。
  (そしてそれは、加点法によるポジティブな指標であるべきです。)
(3) その指標が「この域値を超えていたい」と思うような目標を定める。
となります。
正確な意味と手順を深く考えず、、品質方針と品質目標を別々に立ててしまうと、
整合性が取れていないばかりか
「この目標って、どうやって測定したらいいのかな?」
と悩むことになります。
なお、企業が企業活動全体を通して世の中にアウトプットしているモノに対する世の中からの評価、
つまり企業の存在価値の総合評価は、
最終的には「中長期的な売上高」と「リピーター率」の二指標に現れるものだと考えてます。

クレーム考 <不満を引き出す調査をしよう!>

お客様がいちいちクレームを言わずとも、確実に蓄積していく小さな不満・・・
前回はそれに起因するクレームについて書きました。
今回は、その早期発見について書きます。
お客様の方から言ってこないのであれば、こちらから聞き出すしかありません。
そう、よくある顧客満足度アンケートです。
(この場合は、不満足度アンケートと言った方がいいかもしれませんね。)
顧客満足度調査についての私の考えは、
2008年12月28日(日) の「CS考 ~調査対象編~」で詳しく書きました。
今回はその続きでもあります。
顧客満足度って、よく5段階になっていますよね。
オール自由記述だと分析が大変なので、なるべく定量的にやりたいのは分かるのですが、
扱い方には気をつけなくてはいけません。
特に真中の「普通」には。
私が思うに、この「普通」というのは、
「どこにでもいる並みの業者だね。」と言われているに等しいんじゃないでしょうか。
お客様には、満足していただいた上でリピーターになっていただかないといけないのだから、
「普通」じゃ駄目なんです。
なのに、「やや不満」や「不満」と答えたお客様にだけ
その理由を聞いているアンケートをよくみかけませんか?
調査の目的が分かっていないからそうなるんですね。
そして、この「普通」にこそ「小さな不満」が隠れているのではないか・・・? と思うのです。
どんな企業も、そして社員も、基本的には「お客様を満足させよう」と考えて仕事をしているはずです。
精一杯好感を与えるように接客し、注文通りの品物を仕上げ、納期を守って納品して・・・
なのに、返ってきた答えが 「 並 み だ ね 。 」 だったら?
きっと、気付かないところで不満を与えているのだと思います。
それを引き出す調査が出来れば、より意義のある調査になるでしょう。
そもそも、何らかの仕事をしたら、お客様の心の中には必ず
「満足」か「不満」、あるいはその両方の感情が産まれるはずなんですよね。
人と人の間になんらかのやり取りがあって、
何の情動も芽生えないということはあり得ませんから。
そう考えると、「普通」という選択肢自体が不要なのかもしれませんね。

クレーム考 <見えない不満>

突然ですが、このブログをお読みのみなさんは
自らの不始末でクレームを起こしたことがおありでしょうか。
私はあります。もう数年前になりますが、出禁が一件。。。
それはさておき、最近、クレームには2種類あることに気付きました。
今日はそれについて書こうと思います。
一つは、大きなミスをしてお客様を怒らせてしまうこと。
この手のクレームをフォローするのは、ある意味簡単なんです。
お客様が怒っている理由・原因が、誰の目にも明らかなので。
しかし2つ目は事情が異なり、少々厄介です。
それは「累積した不満」です。
お客様との日々のやりとりの中で、些細なコミュニケーションギャップ等が度々あると、
お客様の心の中には、表には出ない“小さな不満”が積み重なっていきます。
そしてある日、ちょっとしたきっかけで一気に噴出し、
「クレーム」として怒りの電話が会社にかかってくることになります。
この手のクレームは、一つ目と違って対処が難しいと思います。
原因が見えづらいからです。
一回一回の”小さな不満”は、多くの場合、すくなくともこちら側は
「粗相をした」という意識が希薄です。
たとえ気付いたとしても、その場で簡単に謝って済ませ、
いちいち上司には報告しないことがほとんどでしょう。
お客様の側も、もしかしたら「粗相があった」とは明確に感じていないかもしれませんし、
感じていたとしても、一回一回の出来事を具体的に覚えている人の方が少数派でしょう。
それでも、不満という「感情」だけは長期にわたって確実に蓄積していきます。
そのため、実際に届くクレームの内容は、
直接のきっかけとなった件についてのみであることがほとんどになります。
すると、クレームを受ける側としては、
「たしかにこちらの粗相ではあるけれど、
 この程度のことでなぜここまで怒っているんだろう?」
と首をかしげることになります。
とりあえずその件についてうまく対処し、ひとまずクレームを収めることに成功したとしても、
それだけではお客様の心の中に「不満の根」が残ったままです。
また次も、些細なことがきっかけでクレームになるかもしれませんし、
今度は何も言わずにお客様は去っていってしまうかもしれません。
表面的にはつつがなく取引を続けているお客様も、
もしかしたらそういう不満を抱えているかもしれません。
では、そういった「表面化するまで見えない不満」を、どうやったら
早期発見出来るでしょうか?
→つづく。

文書の意味を見直そう <2> 「品質方針」 後篇

前回は、「品質とは企業の存在意義そのものである。」ということを書きました。
(やや極論かもしれませんが。)
では、「品質」の「方針」とはなんでしょうか。
これも「企業の存在意義の方針」と言い換えることが出来ます。
ちょっと妙な日本語ではありますが、
こうすると「経営理念」や「事業方針」とかなり近くなってきましたね。
日本規格協会の発行している
「対訳ISO9001:2008 品質マネジメントの国際規格」の215頁には、
「一般に品質方針は、組織の総合的な方針と整合しており・・・」とあります。
特に理由が無い限り、別々に作るのは二度手間ではないでしょうか。
もちろん、「経営理念」には、対外的に産みだす製品やサービスの品質以外にも、
幅広い概念が盛り込まれるケースもあります。
なので、両者は完全に同一ということではなく、
「経営理念が品質方針を含有している」という位置づけになります。
改訂のサイクルですが、品質方針を毎年書き換える必要はないと思います。
別に変えてはいけないというわけではないのですが、
少なくとも「組織としての総合的な方針」と整合しているモノが
年単位で変わるのは不自然だと思います。
「品質」という言葉に限らないのですが、どうもISO用語と言うのは
普通の日本語と微妙に意味が違いますね。
同じ言葉を使っているから、なおのこと紛らわしい。
さて、2009/7/12の記事で、「品質方針を品質マニュアルに盛り込んでもいい」と書きましたが、
その理由を説明します。
企業のあらゆる組織、人員、システムは、
「経営理念の実現」を共通の”焦点”として機能するものです。
品質方針や品質マネジメントシステムも、その中の一部です。
逆に考えると、品質マネジメントシステムとは、品質方針の実現のためのシステムだ、
ということになります。
品質マニュアルは、その企業の品質マネジメントシステムの在り方を明文化したものです。
その冒頭に、当該システムが何のために存在するシステムなのか
記しておくことは重要なことです。
なお、「品質目標」の方は別に品質マニュアルに記載する必要が無いと思います。
品質目標は、品質方針に基づき、組織内の各階層や部門ごとに設定されます。
規格には「製品要求事項を満たすために必要なものを含む・・・」とありますが、
シンプルに考えれば、「品質方針の実現度合いの目標」と言い換えてもいいのではないでしょうか。
これは、達成度合いを測定し、当然フィードバックを行うわけですから、
長くても年単位で改訂されうるものです。
改訂のサイクルが違うものを、同一文書内に収めるのは賢明ではありません。
なので、品質目標は分けて作成した方が良いと思います。

文書の意味を見直そう <2> 「品質方針」 中篇

品質とはなんでしょう?
日本規格協会の発行している
「対訳ISO9001:2008 品質マネジメントの国際規格」
「ISO9001:2008 (JIS Q 9001:2008) 要求事項の解説」
にある定義を私なりにまとめますと、
「仕事の結果として生み出された製品やサービスの持つ特性が、
(主に顧客の)要求を満たす程度」
です。
 ・・・まだちょっと分かりにくいでしょうか?
さらに普通の言葉に言い換えるなら、
「その企業が存在(存続)することで世間に対して産み出される
 何らかの”価値”に対する、世間からの評価」

です。
 ・・・すみません。全然普通の言葉になってないですね・・・
企業とは、事業を行う事業体です。
事業活動を行った結果として、かならず”何か”を世の中に対して産みだしています。
その企業がもしこの世に存在しなかった場合と比べて、
確実に世の中を変えているはずです。
それが「製品やサービス」と、その「特性」です。
そしてその”何か”は、世の中に無くてはならない、人々から喜ばれるモノかもしれませんし、
誰からも見向きもされないものかもしれない。
(後者であれば、その企業は近いうちに潰れるでしょう。)
それが「要求を満たす程度」です。
要するに、「品質」と言うのは、その企業の「存在意義」そのものなんですね。
(あくまで私の解釈ですが。)
もし産み出している製品やサービスが、世の中から全く評価されなければ、
(つまり品質がゼロであれば)
その企業は存在する意味がありませんから。
<続く>

文書の意味を見直そう <2> 「品質方針」 前篇

今度は、「品質とは何か?その方針とは何か?」を考えてみます。
ISO9001の認証を取得されている企業では、必ず「品質方針」というものが定められているはずです。
そう要求されていますから。
文字通り「品質」の「方針」なわけですが、認証取得活動を始めるまで
そんなものを定めたことが無かった企業にとっては、
いまいち掴みどころが無く、どういう風に定めればよいのか迷うと思います。
しかし、他の多くの文書や概念と同じく、ズバリ同名の文書は無くとも、
実質的に内容が類似している文書・概念なら、大抵はすでにあるはずなんです。
独特のISO語に惑わされる必要はありません。
結論から言いますと、品質方針の場合、それは「経営理念」や「事業方針」に該当すると思います。
そういったタイトルのものを、Webサイト上に掲げている企業も少なくありません。
ぴったり一致するとは限りませんが、両者の性質はかなり近いと言って良いと思います。
なので、わざわざ新しいものを考える必要は無いはずです。
経営理念や事業方針が全くない企業なんて、そうそう無いはずです。
つきつめて考えたことがない経営者でも、なんとなく胸の内に抱いているポリシーがあるはずです。
では、経営理念・事業方針と品質方針を、なぜほぼ同一視してよいのかは、
次の記事に書きます。
<続く>

ISOのために事務局が必要になるケース

さて、昨日までは勢いに任せてずいぶん一方的に「事務局不用論」を展開して参りましたが、
本当に不要なものなら、これほどまでに「当たり前のもの」として
多くのISO認証取得企業に事務局が作られるわけがありません。
このやり方が普及している理由があるはずです。
私はそれは「大企業向けのISOスタイル」にあると思います。
昨日の「誰の、誰による、誰のためのマネジメントシステム? <4>」では、
「部門横断型の組織を~」と書きましたが、それが難しいケースもあります。
全国に事業所を展開している大企業がそうです。
昨日までの私は、自分が所属している中小企業の目線で語っていましたが、
大企業ともなるとやはり同じようには生きません。
全社的に運用するには、ハブの役割をになう事務局が
どうしても必要になることもあるでしょう。
では、そんな大企業のやり方が、どうして「ISOのスタンダード」として
定着してしまったのか?
聞くところによると、その昔欧米から日本にISOが上陸した頃、
欧米と直接取引をしている大手メーカーがまず導入を求められたそうです。
そしてその大企業をモデルとし、下請け・孫請けの
国内中小メーカーへと導入が進んだそうです。
そのため、中小企業においても、大企業を模した重厚長大なシステムが
作られてしまったそうです。
「事務局を設ける」というスタイルが広まった理由も、
そんなところにあるのではないでしょうか。

誰の、誰による、誰のためのマネジメントシステム? <4>

さて、そろそろまとめに入ります。
たまたま、記事を書くきっかけが「購買先評価」だったので、
それをモデルに書いてきました。
しかし、これまで書いたことは、ISOにまつわる各種制度全般に
あてはまることだと思います。
品質を生み出すのが現場であるなら、
品質のマネジメントシステムもまた、
「現場の、現場による、現場のための」マネジメントシステムであるべきです。
そしてその主体となるのは、現場を監督する「中間管理職層」と、
その方々を管理する「経営層」であるのが自然のはずです。
そもそも、どんな会社だって中間管理職は現場を監督しているはずだし、
経営層は中間管理職を管理しているはずです。
ISOを導入するからといって、まったく新しいことを始めるわけではないはずです。
もちろん、部分的に足りない点はあるでしょう。
しかしそれはやはり既存の監督・管理の補完や延長として
中間管理職層や経営層の方々自身の手で行われるのでなければ、
「マネジメントのレベルが上がった」とは到底言えないはずです。
少々極論ではありますが、わざわざ「ISO担当者」を集めて
推進室や事務局を新設すること自体、
ISOを現場から引き離す行為ではないでしょうか。
逆に、日頃は別々に仕事をしている各部署の管理職を集め、
部門横断型の組織を作って臨むのであれば、むしろ有効かと思います。

誰の、誰による、誰のためのマネジメントシステム? <3>

そもそも、「購買先の評価・管理」とは、
事務局がやるべき仕事なのでしょうか?
うちの会社では、購買先の評価は購買先への支払いとも関連しています。
経理(≒総務=ISO事務局)に請求書が届く度に、
発注をした現場の担当者の方にチェックシートを渡して
評価してもらっています。
そして、回収→イントラネット上で公表→年に一度集計 という流れです。
このやり方も、最近疑問に思うようになってきました。
そもそも、ISOを導入する前、「購買先評価制度」なるものが
影も形も無かった頃には、「購買先を評価する」という行為は
行われていなかったのでしょうか?
そんなはずはありません!
ISOなんて縁もゆかりもない企業でも、
日常的にこのような↓会話が交わされているはずではないでしょうか。
Aさん「こないだの○○の案件って、
    たしか××の部分は外注したよね?どこだっけ?」
Bさん「△△に頼んだけど、それが?」
Aさん「こんど俺んとこに○○と似たような仕事が来てさ、
    ちょっと手が足りてないから出来るだけ外注に出したいんだよね。
    △△の仕事ぶりって、どうだった?」
Bさん「いや~ ずっと前に頼んだときは良い仕事してくれたんだけどさ、
    その時の担当者がもう辞めちゃったらしくて、
    こないだの仕事は期待したほどじゃなかったよ。」
いかがでしょう?
この程度の会話なら、どこの企業でもありますよね?
総務や事務局の与り知らぬところで、
ちゃんと購買先の評価はされているはずです。
制度なんて無くたって。
購買先の評価に限らず、ISOの要求事項の多くは、
このような「企業における当たり前の営み」を制度化すれば済むのではないでしょうか。
上記の会話の例では、
・情報は基本的に個人の頭の中
・主観的な評価
・個人間での伝達のみ
という欠点があります。
これをちゃんと制度化することで、
「評価基準を明確にして関係各所で共有出来る。」
というメリットがあるわけです。
そして、基準に引っかかる問題があった場合は、
確実に改善に繋げ、その結果も評価します。
それがマネジメントシステムってもんです。
しかし、個人まかせのやり方がシステマチックになったところで、
行為の主体が「現場」であることに変わりはありません。
情報を出すのも、その情報を共有する範囲も、
情報のメリットを享受するのも、現場です。
会話ベースのものをキッチリ制度化したからって、
主体が現場から事務局に移管するのはおかしいですよね。
そもそも、事務局が立ち入る余地なんて最初から無いんです。
「そうは言っても、現場は現場で忙しいから、
 なかなか帳票作りや制度の運用まで手が回らない。
 そういうことは事務局に担当してもらいたい。」
という意見もあるでしょう。
分からない話ではありません。
しかし、現場を知らない事務局には、審査を通る書類は作れても、
本当に現場から必要とされるものは作れません。
「行為の主体」たる現場の方々に手がけていただくのが、
結局一番良質な制度になるはずです。
書類を書くのが面倒なら、帳票を廃止・簡素化すれば良いのです。
逆に、共有する価値があると思う情報なら、忙しくても書く必要があります。
「他人が書いた情報は見たいが、自分が書くのは面倒だから嫌。」
という考え方は、さすがにNGです。
また、書いた帳票の集計や共有の手法については、
ITを活用してできる限り自動化するといいですね。
→to be continued.

誰の、誰による、誰のためのマネジメントシステム? <2>

さて今回は、前回の記事を書いたきっかけを説明します。
ちょうど今、勤務先で「購買先評価」の集計をしているんです。
私の所属は総務ですが、総務がISOの事務局も兼ねていますので。
「ISO9001:2000 7.4.1」に基づく制度として、
外注がある都度、その仕事の品質と情報資産の取扱いを評価し、
(そのためのチェックシートがあります。)
年に一度まとめて集計し、「外注先一覧」を更新しているのです。
そこで疑問に思ったんですね。
「これ、どれだけ意味があるのかな?」と。
ある購買先がポカをやらかし、低い評価がついたとしても、
それが一覧上に出てくるのは次の更新のタイミングです。
更新が年に一度ということは、下手をしたら1年近い間が空きます。
現場の方達が、そんな一覧を見ながら購買先を選ぶとは思えません。
かくして、誰からも感謝されない徒労を事務局が負いつづけることになります。
「現場の業務サイクル」に「管理のサイクル」がマッチしていないと、
形骸化した活動になってしまうという良い例です。
もっとも、納入の度に書かれるチェックシートも
一覧と一緒に公開していますから、
それを見れば直近の評価も分かるようにはなっています。
(最近のものは未集計ですが。)
しかし、チェックシートの項目が、
「現場の方々が、外注先の選定に役立てられる」
ような内容になっているかどうかは甚だ疑問です。
評価項目が、問題のある購買先を見つけるための減点法的構成になっているんですね。
それはそれで大事なんですが、いかにも「ISOのための書類」という印象を受けます。
ISOという観点にとらわれず、現場の日常業務の中で役に立てるには、
(購買先を選定する際に参考にする等)
その購買先の得意分野や、仕事の癖なども書かれていると良いですね。
今のチェックシートが作られたのは私が入社する以前ですので、
どういう経緯で今のスタイルになったのかは分かりませんが、
チェックシートの内容も制度の構造も、見直す必要がありそうです。
→to be continued.