何をマネジメントするのか? <3>

前回からだいぶ間が開いてしまいましたが、今回が最終回です。
この「何をマネジメントするのか?」シリーズを書くきっかけになった
某顧客(大手電機メーカー系SIer)は、わりと大がかりな「Web購買システム」を構築しています。
私のような下請企業の社員は、インターネット経由でそのシステムにアクセスし、
見積情報や納品情報などをそこへ入力します。
当然、入力された情報は必要に応じて各種処理がなされ、
様々な統計値が経営陣のところへ届けられるものと思われます。
しかし、入力される情報と言うのは、第2回でも述べているとおり、
往々にして「都合のよい情報」であり、「現場の実態」とはやや異なることが少なくありません。
(全てがそうだとは言いませんが。)
そんな情報でも、データとしての整合性さえ取れていれば
少なくともシステム上は、エラーせず入力可能です。
どんな立派なシステムを構築したとしても、インプットの時点ですでに情報が歪んでいたら、
意図するアウトプットを得られるはずがありません。
ITなんてそんなもんです。
いえ、ITに限らず、ありとあらゆる「システム(=仕組み)」はそういうものだと思います。
このシステムから得られた情報を元に、顧客の経営陣が
「今期の購買の傾向は○○だった。次期は△△になるように■■の手を打とう。」
といった意思決定を、もししているのだとしたら・・・
ちょっと可哀想になります。
別のルートで、ちゃんと「マトモな情報」を得ているのならいいんですけどね。
(もし仮にそうだとしたら、それはまぎれもなく二重管理であり、
 購買システムが無駄な代物であることになってしまいますが。)
そろそろまとめます。
システムの立派さは、必ずしもマネジメントのに直結しません。
マネジメント業務を楽に、かつ確実に運用するためにITを導入するのはいいでしょう。
大企業であれば、それが大がかりなものになるのも仕方が無いでしょう。
しかし、そのシステムを通じて得られる情報だけを鵜呑みにして
現場で実際に起きていること」に目を向けなくなったら、危険です。
経営者にとって、社内に存在する各種IT・非ITシステムは経営のツールと言えますが、
そのツールが思うように機能しているか否かを評価・検証しようと思ったら、
どのみち現場に目を向ける以外には無いのです。

北北東に進路を取れ 【二日目編】

二日目の朝は、思ったより早く訪れました。
朝日の明るさで目が覚めてしまったのです。たしか5:15頃でした。
十分とは言えない睡眠時間ですが、昨日よりはだいぶマシです。
30分ぐらいゴロゴロしていたのですが、二度寝も出来ず、
周りも起き出しているので諦めて私も起きることにしました。
朝の集合は7:40なのでまだ時間はありますが、やることもあります。
まずは朝飯。ケ○ッグのシリアルをそのままボリボリやって、ミネラルウォーターで流し込みます。
ほぼ一袋食べました。
それから、作業の準備と荷造りです。 なぜ荷造りが必要かと言いますと・・・
私はサラリーマンなので、翌日は会社があります。なので今晩中に帰京する必要があります。
本日の作業後、いったん宿営地に戻ってから仙台駅行きのバスに乗るのですが、あまり時間に余裕が有りません。
なので、朝のうちに帰る準備をある程度整えておく必要があるのです。
グラウンドに全員で集合し、ラジオ体操をしてからバスに乗って各活動拠点へ移動。
私のチームは、昨日と同じ「あいプラザ・石巻」です。
なぜか全体でアンパンマンの歌を歌ってから、他の2チームと共に「側溝のヘドロ除去」の現場へ行きました。
側溝のコンクリート製の蓋は重いので、専用の道具を使って二人がかりで持ち上げます。
私たちは「側溝すっぽん」と呼んでいたのですが、本当の名前は分かりません・・・
ハサミのよう形状で、爪を側溝同士の継ぎ目の隙間に挿しこんで持ち上げるものです。
ハサミの「梃子」を利用し、持ち上げる力が同時に挟む力にもなっています。
値段は十万円ぐらいすると聞きましたが、本当でしょうか?
なかなか持ち上がらない蓋もありました。
固定されてはいませんが、泥が詰まってカチカチに固まっていると、揺すっても叩いてもビクともしません。
そういうところは諦めました・・・
蓋が外せたら、あとはひたすらヘドロを浚うのみです。
狭い場所での作業なので、少し小振りの角スコップの方が、大型のモノより楽でした。
「鋤簾」(じょれん)なる専用の道具も使いましたが、ヘ
ドロが乾き過ぎていたり、逆にビチャビチャだったりすると使いづらいですね。
大部分のヘドロを掬ったら、最後は手持ちの小型シャベルで仕上げます。
ついでに、デッキブラシで蓋やその台の部分に積もった泥も落とします。
たぶん震災前より綺麗になってます。
なお、土嚢袋に目一杯ヘドロを詰め込むと、重過ぎて運びにくいので加減が必要です。
私たちは、高さ30センチ程度のあまり大きくないバケツに土嚢袋をかぶせて使いました。
こうするとヘドロを入れやすく、なおかつちょうどいい量でいっぱいになるのです。
日陰側の側溝はすでに済んでいるため、作業するのは日向側・・・
直射日光を全身に浴びながらの作業(しかも長袖長ズボン)は、初日の作業よりはるかにキツイものでした。
あまりの暑さに、休憩時には「奥の手」であるパンチクールを使いました。
実家近くのいなげやで買った、叩くと冷えるヤツ@98円です。
本来は熱中症になった人のための救急用品でしたが、自分がそうなりそうだったので使っちゃいました。
10時15分ごろ、私の体では感じなかったのですが、余震が有りました。
他のメンバーが気付き、いったん建物から離れて作業中断です。
特に危険はなさそうなので作業を再開すると、今度は津波注意報が出ました。
警報では無いのでまあ良かろうと判断してしばらく作業を続けるうちに、ヘドロの少ない場所に行きあたりました。
近所の方の話によると、そこはもう作業済みの区画なんだそうです。
ということは、うちのチームの担当分はこれで終了、と言うことになります。
ちょうどそこへピースボートの方が来ました。「念のため避難する。」とのことです。
作業道具は置いておき、側溝の蓋も開けたまま、あいプラザ・石巻の屋上へ上りました。
注意報が解除されるまではここで待機です。
皆、少ない日陰にもぐりこんで休みました。
↓その時に屋上から撮った写真です。


結局、解除されたのは12時前になってからでした。
屋上から下り、昼食のおにぎりを食べてから、午前と同じ3チームで別の現場へと向かいました。
午後の作業は、ある民家の庭に堆積したヘドロの除去です。
家屋の床下に溜まったヘドロは除去済みで、家主の方は2階で生活されています。
ヘドロはもうカピカピに乾いていて、厚さは3センチ程度
正確に言うと、表面1センチの層とその下の層に、なぜか分かれていました。
表面の層はバリっと剥がせるのですが、下の層は庭に元々あった砂利と一体化していて難儀しました。
ヘドロだけを除去するのはほぼ不可能なので、砂利もだいぶ一緒に捨ててしまいました
さすがにスコップなどでガバっと掬うわけにはいかないので、全員で庭にかがみこみ、
手持ちシャベルないし手で、ひたすらヘドロを剥がし続けます。まさに人海戦術です。
ここも日差しを遮るものがなく、キツイ現場でした。
作業時間が短く、とても庭全体は終わららなかったのですが、出来た分を以て良しとしました。
全体への説明でも何度か言われたことですが、今日やり残したことがあっても、
それは必ず後から続くボランティアが引き継いでやってくれます。
自分の手で目の前の被災地を全て救おうだなんて、気負わなくていいんです。(どうせそんなの出来っこない。)
無理をして、怪我や熱中症などの事故を起こしてしまっては逆効果です。
周囲に、「被災地は危険なんだ。」というイメージを与えかねません。
14:30に作業を終え、家主の方から被災当時のお話をお聞きして、現場を後にしました。
朝用意した2.5リットルの水を、半日で全て飲み干すほど暑い日でした。
もっと用意しても良かったと思います。
その後は洗い場を経て宿営地へ戻り、荷物をまとめて17時過ぎには仙台駅行きのバスへ乗り込みました。
(このバスも、ピースボートが手配しているものです。)
仙台駅に着いたのは18時半ごろで、それから新幹線で帰京。
強行軍の二日間でしたが、私のチームで事故を起こさずに済んで安心しました。
全体でも、初日にすこし体調を崩した(おそらく軽い熱中症)人がいたのと、
側溝の蓋に指を挟んで血マメを作った人がいたぐらいで、大きな事故が無くなによりでした。
今後も、何らかの形で被災地の支援に行きたいと考えています。

北北東に進路を取れ 【日和山編】

初日の作業後、石巻市を広く見渡せる「日和山」に全員で上りました。
山と言っても、標高60m弱の丘ですけど。
ホントはバスで行く予定でしたが、他のチームの移動の都合上、徒歩での移動となりました。
ここからは、ボランティアが作業している市街地だけではなく、海岸沿いの「全壊地域」も一望できます。
津波の跡に火災もあったそうで、一部の頑丈な建物だけを残し、本当に全壊してます。
よく言う「戦後の焼け野原」ってのはこんな風だったのかな、と思いました。
【1】旧北上川河口東側

【2】旧北上川河口東側拡大

1の写真の左端に写っている、何かのタンクの拡大図です。完全にひしゃげています。

【3】旧北上川河口東側航空写真


グーグルマップの航空写真を見てみると、このタンクは岸壁にあるのではなく、
防波堤に打ち上げられていることが分かります。津波の力って本当にすごいですね。
それにしてもグーグルは更新早いな。
【4】旧北上川河口西側


【5】旧北上川河口中州


奥に見える白いお饅頭のような建物は、石ノ森萬画館です。
山を下りていったん活動拠点に戻り、バスに乗って宿営地に戻ったのは17時半ごろだったでしょうか。
配られた夕食を食べ、夜の全体ミーティングで今日の作業の報告をし、(全チームがするから結構長い。)
更衣室で体を拭いて翌日の準備を済ませたらすぐ寝ました。
周囲のいびきは結構なもので、なかなか寝付けなかったんですけどね。
仕方なく、バスでは役に立たなかった耳栓をしてみたら、大活躍しました。
説明会では「夜は寒い」と聞いていたのですが、ちょっと情報が古いですね。
確かにエアコンなんて気の効いたものはありませんが、もう十分「暑い」季節です。
寝袋には入らず、敷布団にして寝ました。
・・・二日目編へ続く

北北東に進路を取れ 【初日作業編】

宿営地到着後、グラウンドにて全体説明(必要な事ではあるが結構長い。)があって、宿舎入り。
荷解きをして作業用の装備を整え、ヘルメットや安全中敷などの貸し出しを受け、再度グラウンドに集合。
この間、はっきり覚えていないのですが、あまり時間に余裕が無く、結構あわただしかった気がします。
おかげで朝飯を食いそびれました。
前夜、地元のラーメン花月で18時半頃に早めの夕食を食べて以来、
お腹に入れたのは道の駅おおさとで未明に食べたお菓子やジュースのみ。
これから参加される方はご注意ください。
宿営地とは別に複数の「活動拠点」があり、私のチームは石巻駅南側の
あいプラザ・石巻」(宮城県石巻市立町1丁目7-3)へバスへ移動しました。
そこでチームごとにスコップや一輪車などの作業道具一式を借り、各作業場へ移動します。
↓活動拠点の道具置場はこんな感じです。


移動中気がついたのですが、電気が復旧していないので信号機も消えています。
一部の大きな交差点でのみ、お巡りさんが立って交通整理をしているぐらいです。
炎天下では相当キツイはずです。
私のチームの仕事は、取り壊しが決まっている民家兼店舗(飲食店)の家財道具を、
隣の空き地(ゴミ集積所)へ運び出す、というものでした。
家主さんと一緒に、5人での作業となります。
ごく一部の捨てないモノ(アルバムなど)は家主さんがすでに選り分けてあるので、
あとは全てゴミとして運び出すのみです。
内部はほぼ手つかずで、1階の床はに4~6cmほどヘドロが堆積していて、2階の畳にはキノコが生えていました。
ヘドロの除去は、全体的にではなく、作業動線を確保するためだけに行いました。
結構滑るので、そのままでは作業できません。
飲食店なので、大きめの冷蔵庫やガスレンジがあり運ぶのに苦労しましたが、
あとは比較的小さいものばかりなので、ひたすら一輪車に積み込んでゴミ集積所と往復です。
2階のモノはもうガンガン窓から落としました。
ガスレンジのホースはガッチリ固定されていて外す工具がなかったので
隣で工事をしている大工さんから鋸を借りて切りました。
あとから聞いたのですが、「鋸を使った作業」は、どこかの省庁が定めているらしい
ボランティア活動の安全指針から逸脱しているそうです。
万が一怪我でもしてたら、ちょっとややこしいことになってたかも。
水を吸った畳は恐ろしく重いので、家主さんの判断で手を付けませんでした。
(基本的には、そういった判断はすべて家主さんが行います。
ボランティアは作業のお手伝いをするのみ、というスタンスです。)
倒れた食器棚は、中身を取り除いた後、ハンマーでガンガン殴って解体してから運び出しました。
ただでさえ足元が不安定ですし、丁寧に扱う必要もないので、効率重視です。
こういう作業はなかなか気分がスッキリするものです。
いえ、別に誰かの顔を思い起こしながら壊してたわけじゃないですよ。
作業の最大の敵は、何と言っても「暑さ」です。
作業開始前にツナギの防水ヤッケを着ようとしましたが、確実に熱中症になると思ったので上は脱ぎました。
休憩も40分おきぐらいに取り、決して無理はしませんでした。
首に巻く濡れタオルは必須です。
一応チームのリーダーなのでメンバーの体調には気を配っていたのですが、
ホントの事を言うと、私自身が結構危なかったんです。
なにしろ、ほとんど寝てないもんで。
基本的には休憩中の水分補給などは自分持ちということになっていたのですが、
熱中飴」なる飴が活動拠点で配られていたほか、家主さんから休憩の度にキンキンに冷えたジュースを頂きました。
おかげでだいぶ楽になりました。他のチームと比べると、かなりラッキーな現場だったはずです。
12時にはいったん現場から活動拠点に戻り、配布された昼食(おにぎり2個)を食べて1時間ほど休みました。
自分で持っていったチョコレートは、鞄から出したらドロドロに溶けていたので見なかったことにしました。
こういう現場には飴が最適です。
休憩中には、家主さんからいろいろお話を聞きました。
震災当時は石巻ではなく松島のあたりで車を運転中だったそうで津波警報を聞いて高台へと急ぎ、難を逃れたとのこと。
家主さんは高校生の時にチリ大地震の津波を体験して津波の恐ろしさを知っているためすぐに避難したそうです。
津波警報に半信半疑の人もいたそうですが。
チリ大地震の津波の時は、直前に海の水が引いていき、旧北上川の川幅がどんどん細くなっていったそうです。
そして、壁のような津波が、200トン、300トンサイズの漁船をゴロゴロ転がしながら川を上ってきたんだとか。
よくその時死ななかったな~ と思いました。
二日目の現場の家主さんもそうでしたが、被災地の方々は饒舌でした。
特にこちらから聞き出すようなこともしていないのですが、ご自身の体験を語ってくれます。
きっと、人に話すことがストレスの発散や、自分の気持ちを整理することになるのでしょう。
住民の多くは疎開しているのか、街中に人影はまばらですし、
残っている住民も同じ体験をした被災者同士ですから、話し相手としては不向きです。
外から来たボランティア達を相手に話す方が、効果的なのだと思います。
そういう話に耳を傾け、受け止めることも、立派な支援活動の一種です。
全体のスケジュールもあり、作業は14時半で終了です。
すべての家財道具を出し切ってスッカラカンに出来たわけではないのですが、
残っている物はそう大きくはないモノばかりで、概ね片付きました。
家主さんも、「ここまで片付けば、後は一人でも出来る」と言ってくださったので、この現場は完了です。
集積所に積み上がった家財道具をあらためて見てみると・・・・
無理。一人じゃ絶対無理。」という量です。
そりゃ時間さえかければ理論上はなんとかなるはずですけど、
もし私が家主さんの立場だったら、とてもじゃないけど手を付ける気にもならなかったでしょう。
上述の交通整理の件もそうですが、被災地はまだまだ万事につけて「人海戦術」が必要な段階です。
まともに復旧しているのは道路ぐらいで、まだまだ手つかずの家屋が多く残っています。
住民の方々だけでは手が足りません。
↓まだこんな建物も残ってます。


石巻市は、市区町村単位での集計では最も死者・行方不明者が多いところです。
しかし、復興活動を統括するお役所の機能の復旧が早かったため、ボランティア活動を受け入れる体制も
他の自治体よりは比較的整っており、復旧が進んでいる方なんだそうです。
よその自治体では、その機能自体が震災でダメになったところが多いと聞きました。
ということは、石巻市以上に手つかずの場所がまだまだあるということでしょうか・・・!?
復興までの道のりはまだまだ遠そうです。
しかし、子供たちが笑顔で走り回って遊んでいるのを見ると、
なんとなく、「日本は大丈夫だ。」という気になりました。根拠はありませんが。
道具をまとめて現場を後にし、発動機付き高圧洗浄機のある「洗い場」で
スコップなどの道具についたヘドロを落としてました。
そして活動拠点へ戻ってきたのがたしか15時頃です。
なお、ボランティアが洗い場の排水溝を詰まらせていては何をしに来たのか分かりませんので、
道具のヘドロはある程度現場で落としておくのがマナーです。
・・・日和山編へ続く

北北東に進路を取れ 【宿営地編】

初日作業編を書く予定でしたが、先に宿営地とその近辺の写真を載せます。
場所は 宮城県石巻市新館1丁目2-38 です。
暇な人はグーグルのストリートビューと見比べてみてください。
【1】宿営地カスカファッション全景


2枚の写真を無理矢理つなげました。
震災直後はここもヘドロだらけだったそうです。
入口上の、庇の端が歪んでいるのが分かるでしょうか?たぶん津波によるものです。
一階部分はほぼ水没したそうで、電気系統はまだほとんど復旧していません。
建物の手前に並んでいるのは仮設トイレです。
これがあるせいか、宿舎全体が臭いました。
おかげで、バスを降りてすぐに「被災地へ来たんだな」と実感(?)出来ました。
まあすぐに慣れましたけど。
【2】個人スペース

カスカファッションの一階には、段ボールで区切られた生活スペースがあります。
床にも段ボールが敷き詰められていますが、個人ごとの仕切りはありません。
私は角に陣取りました。
手前にちょっと他の人の荷物も写り込んでいますが、ブルーシートが敷いてあるのが分かるでしょうか。
広さは、布団1枚分も無い程度です。
食事と着替えとトイレ以外、寝るのも荷物を整理するのもここで行います。
壁の段ボールにも荷物を掛けていますが、濡れた洗濯物を干すのは禁止です。
【3】隣接するスポーツ施設


ドーム状の建屋は、プールです。壁がほぼ無くなってます。
ここのヘドロ除去にも、結構な人数が投入されました。
【4】宿営地前道路


車は普通に走っていました。
道路標識は傾いてますけど。
・・・こんどこそ初日作業編へ続く

北北東に進路を取れ 【往路編】

7月8日(金曜)、会社をほぼ定時で上がり、家に帰って荷づくり。
担いでみると・・・ 重い
背には大型リュック、手には安全長靴の袋と小型リュック。
刃牙の真似をして「チョット・・・ 欲張りすぎたか・・・」と呟いてから出発。
電車に乗り込む頃には汗だくになってました。
集合場所は都庁の麓の、新宿区中央公園です。
ホームレス大杉。あとゴキブリも。
新宿駅から歩くと、そこそこ距離がありますね。
途中のコンビニで水を買い、21時15分の集合には余裕を持って到着。
大江戸線都庁前駅の、A5出口のあたりです。
直前に、あるチームがメンバーの都合か何かで解散になり、残ったメンバーがあぶれたため、
あれこれ再編された結果、私のチームに1名追加となりました。総勢4名です。
4名分のバス代(1000円)とボランティア保険の証書を確認し、
バスが出発したのはたしか21:45分頃
佐野SA、安達太良SA、道の駅おおさとを経て、
土曜の朝6:30に宿営地カスカファッションに到着しました。
本当はもっと早く着いてもおかしくないのですが、
途中休憩でたっぷり時間を取りました。
特に、最後の道の駅おおさとには2時間ぐらいいたと思います。
深夜に着いても受け入れられないのと、
土曜の朝の便で帰るボランティアの方々にそのバスをそのまま使って頂くため、
到着時間を調整する必要があったそうです。
しかしSAと違い、道の駅は早朝はお店が開いていないので、何もすることがなく難儀しました。
近くのコンビニで立ち読みしたりお菓子を買ったりその辺で横になったりして、
テキトーに時間をつぶしました。
エンジンを止めているバスの中は暑いので、外で横になってる人は他にもいました。
思えば、この時もっと腹いっぱい食べておけば良かった・・・
道の駅おおさとのあたりでは、地割れが随所に残っていました。
道路自体はだいぶ補修されていて、トラックもバンバン走っているのですが、
ちょっと裏に回るとまだ手つかずの状態です。

近くの民家は、地震で屋根が壊れたのか、シートを張っていました。


震災からもう4か月近く経っていますが、まだそういう状態なんですね。
それにしても、深夜バスというのは本当に眠れないものです。
昔からそうなんですが、私はほぼ一睡も出来ず、ずっと窓の外の高速の壁を眺めてました。
1~2時間ばかりウトウトした程度です。
バスや旅客機の座席でも快適に眠れるような旅行グッズを買ってもよかったのですが、
荷物をこれ以上増やしたくなかったので断念しました。
でもやっぱり必要だったかも・・・
前の席の人はそういう枕を使っていました。
なお、いびき対策として持ってきた耳栓は、バスの音が相手ではほぼ役に立ちませんでした。
そして寝不足&空腹のまま、活動初日が始まります
・・・初日作業編へ続く

北北東に進路を取れ 【準備編】

説明会の翌週の土日には、実家に帰ったりホームセンターに行ったりして、装備を整えました。
どうして実家に帰るのかというと、父が昔登山をやっていたため、
大型の登山用リュックや寝袋、携帯ガスコンロ、コッヘルといった装備が一通りあるのです。
都会的生活インフラが無いという意味では、山も被災地も同じなので、
かなり流用可能です。
以下、私が用意したモノを列挙いたします。
後から続くボランティアの方は参考にしてください。
購入したものは、値段を付けました。税込(のはず)です。
◆作業用具
------------------------------------------------
■安全長靴 \2,480
現地に行って気付いたのですが、爪先は鉄板で覆われているものの、なんだか歩きやすい。底が柔らかい。
これって底には鉄板入ってないのかな・・・?
不安になったので、安全中敷を借りて入れました。
■防水ヤッケ \1,890
川西工業製のツナギタイプを、シザイコムというネット通販で買いました。
しかし、現場では上まで着込むと間違いなく熱中症になりそうだったので、
上は脱いでズボンとしてのみ利用しました。
(なので、上半身は長袖Tシャツ一枚です。)
すると、ベルトが無いためズリ落ちて来ます・・・
なので2日目はこれを使わず、予備のレインコートのズボンを履きました。
■予備レインコート
実家にあったもの。使い捨て前提の安物。
ただのビニール製レインコートで、通気性ゼロ
ズボンのみ2日目(7/10)に使用しましたが、もう昼前には中のズボンが汗でびっしょりになって
ペタペタに貼り付いていました。
そんな状態で半日過ごしたので、ひどい汗疹になりました。
やっと今日あたり、痒みが収まってきました。
■ゴーグル \198
顔とレンズの間に隙間が無い密閉タイプのなかでもかなり安価なものを選びました。
高いものは高いんですけどね。
ゴーグルが必要な現場には行かなかったので、不使用でした。
■防塵マスク(5枚入り) \730
普通の平面的な花粉症用マスクと違い、丸く立体的に成形されている作業用のものです。
これも比較的安価なので、アスベスト除去作業のような本格的な作業には使えません。
勿論そんな専門的な作業はしないので、これで十分です。
二日目の午後の現場でのみ使いました。
■養生テープ(75mm×2m)\498
長靴、手袋と防水ヤッケの隙間を塞ぐためのテープです。
でも結局使いませんでした。
そうする必要があるほどヘドロだらけになるような現場には行かず、
また、そこまで密閉したら熱中症になりそうだったからです。
各種荷物・装備に名前を貼るのに使いました。
■皮手袋 \598
ヘドロの中には何が紛れ込んでいるか分からないので、ゴム手袋は使えません。
豚皮製の柔らかいものを購入。
牛革製のは固いですね。丈夫なんでしょうけど。
■各種手袋
実家にあったもの。
どんな作業をするか分からないので、念のためビニール手袋や滑り止め付き軍手も持っていきました。
ほぼ不使用。
■ヘッドライト \525
実家にあった豆電球式のものを予備とし、ヒャッキンでLED式のモノを購入。さすがに105円では買えません。
そんなに暗いところでは作業しなかったので、不使用。
■ミストファン \980
スプレーで水を吹き付けつつ、小型の扇風機(単3電池2本)で風を送るという製品。
休憩中に使うつもりで作業現場にも持って行きましたが、
扇風機のパワーが弱く、気休めにしかなりませんでした。
無いよりマシと言えなくもないのですが、荷物としても嵩張りますし、コストも考えれば失敗でした。
■カッター替刃 \198
説明会では特に必要とは言われなかったのですが、たぶん使うんじゃないかと思って一応用意。
カッター自体は持っていたので、替刃のみ購入。ちょっとグレードの高い黒いやつ。
でも結局不使用。
■帽子 \1,330
説明会で熱射病予防のため必須と言われました。
作業中は原則ヘルメット着用なので、移動中のためのものでしょう。
野球帽タイプではなく、後頭部にも鍔があるサファリハットタイプを購入。
なお、ヘルメットは現地での貸出が有りました。
◆救急用品
------------------------------------------------
■薄ゴム手袋(6枚入り) \105
怪我人の血に直接触らないようにするためのモノ。
幸いにして不使用。
■滅菌ガーゼ・包帯等 約\1,300
詳細は割愛しますが、怪我のための諸々の応急処置用の道具を購入。
消毒液や絆創膏は、実家にあったもので間に合わせました。
幸いな事に不使用でした。
■パンチクール 単価\98
叩くと冷たくなるヤツです。
熱中症予防&応急処置のため、チームメンバーの分も含め全部で7個買いました。
二日目の午前の休憩時に一つ自分で使っただけで済みました。
■虫除け・ムヒ
田舎はブユが多いのではないかと心配でしたが、そうでもなかったので使わずに済みました。
ただ、ハエはやたら多かった
◆生活用品
------------------------------------------------
■耳栓(3セット入り)\105
説明会で、現地では大勢で雑魚寝だからいびき対策に必要だと言われたモノ。
行きの深夜バスの中ではほぼ意味が無く、今週の期待外れオブザイヤーに選出してやりましたが、
実際の宿営地では一転して大活躍でした。
マジでこれが無いと眠れなかった・・・
いびきがうるいさい人は隔離して欲しいですね。
■au用充電池 \105
単4電池4本使用。電池は予備含め8本(\105)を用意。
しかし、いざ繋いでみると、充電ランプは点くのに全く充電できない・・・
IS01というアンドロイドのスマートフォンを使っているのですが、どうやら特殊な仕様のようです。
適合機種一覧にはちゃんとIS01と記載されていたのですけどね。
■ウェットティッシュ(除菌タイプ) \105
ボディ用と、手拭き用の2種。
現地には入浴施設などありません。
また、基本的に不衛生な環境なので食事前などは特に気を付けないとといけません
■ポケットティッシュ
実家にあったものです。
10個以上持って行きましたが、2日間だけの活動ではそんなに必要ありませんでした。
■ゴミ袋
ゴミは全て持ち帰りなので、住んでいる市の指定のものを持っていきました。
宿営地で、それを見た同じ市に住んでいるという人に話しかけられました。
世の中狭いもんです。
■割り箸
実家にあったものを持って行きました。祝い箸だったけどまあいいか。
昼と夜はお弁当が出て、朝もシリアルで済ませたので、
結局不使用。
■ブルーシート
実家にあったもの。
宿営地でのパーソナルスペース確保のためにつかいました。
クッション性はないのであまり意味は無かったかも。
■寝袋 \6,993
実家にあったはずのものが見当たらず、購入。
説明会では寒いと聞いていたものの、それは支援活動初期の情報で、もう結構暑くなっていました。
寝袋には入らず、ブルーシートの上に寝袋を敷いて、その上で寝ました。
■枕
変わると眠れません。
■スリッパ
ふだん家で使っている物をそのまま持って行きました。
宿営地内で使用。
■傘
これもふだん家で使っている物です。
現地は憎たらしいほど晴れていて、使わずにすみました。
おかげでものすごく暑かったんですけどね。はたして、雨とどっちがマシだったのか。
◆食事関係
------------------------------------------------
■コッヘル・携帯コンロ・アルファ米・フリーズドライのスープ
実家にあった、登山用のものです。
説明会の時点では必須でした。
その後、ガスコンロと昼夜の食事は用意されるとの連絡がきましたが、
用心深い性格なので、「はたして人数分、迅速にいきわたるほど十分にあるだろうか?」
と心配になり、自分で持って行きました。
実際にはちゃんと十分にあったため、不使用のまま持って帰りました。
■シリアル
嵩張らないように箱から出して袋だけ持って行きました。
カップラーメンを持って来ている人も結構いましたが、お湯を沸かす手間がかかりますし、ゴミも嵩張ります。
シリアルであれば、そのまま食べれば食器も不要ですし最後に残った袋も小さく畳めます。
長期滞在するのでなければ、これが最も合理的だと思います。
■水
現地ではまだ上下水道が復旧しておらず、地元の被災者の方々も自衛隊が提供するお風呂を利用されています。
なので、ボランティアは各自水を持ちこみます。
宿営地には一応飲料水・生活用水のタンクが有りますが、現場に持っていくのは自前です。
集合場所の近くのコンビニで7リットルほど買いました。
◆収納
------------------------------------------------
■大型リュック
実家にあった登山用のもの。最大でおそらく60リットルほど。
■小型リュック
実家にあったもの。大きさは普通のデイパック程度。
宿営地から現場への移動用ですが、ちょっと小さかったかも。
荷物が多すぎたという説もありますけど。
上述のミストファンなどが嵩張った・・・
■ウエストポーチ
小型リュックの補助。
作業中にもすぐに取り出したいものを入れておきました。
でも実際の作業では、そんなに必要にはならない&邪魔なので、外しました。
■ザックカバー大小
実家にあったものです。
リュックの雨除けですが、不要でした・・・
以上で、ほぼ全ての装備になります。
総括すると、あきらかに多すぎました。
なにしろ始めての事なので、様々な可能性を考え、何にでも対応できるよう
あれもこれも用意したのですが、大部分は杞憂でした。
もちろん、怪我に備えた救急用品は、今回使わなかったからといって削減するわけにはいきませんけど。
最後に、事前準備として忘れてはいけないのが「ボランティア保険」です。
何があっても基本は自己責任ですから、保険は欠かせません。
私が参加したこのピースボートの支援活動では、保険加入の証書が無いと、
行きのバスに載せてもらえないことになっています。
これは説明会でも、その後の連絡でも念を押されました。
各自治体にある、社会福祉協議会にて手続き可能です。
私は一番グレードの高い「天災Cプラン」に入りました。
掛け金は1400円で、有効期間は来年3月末まで。
死亡・後遺障害保険金額は19,121,000円、
入院保険は日額11000円、
通院保険は日額7000円です。
ボランティア中に誤って他者の身体、財物を傷つけてしまった場合の補償は
1事故に付き、限度額5億円です。
・・・往路編へ続く

北北東に進路を取れ 【説明会編】

6月26日(日)、広尾の「JICA地球ひろば」にて説明会がありました。
内容は、
・ボランティアの心構え
・作業内容
・事前準備
・必要装備
・日程
・チーム分け
・怪我などの応急処置説明
・チームリーダーへの役割説明
といったところです。
まず心構えですが、ボランティアとして主体的に何かをするというのではなく、
あくまでも被災地で復興に向けて頑張っている被災者の皆さんを「手伝う
というスタンスだそうです。
また、自主的な活動であり、事故なども基本的には自己責任ということになります。
通常、サラリーマンの労働環境の安全性には会社が責任を負ってくれていますが、
被災地ではそういう常識は通用しません。
作業内容は、
・津波で街を覆ったヘドロの除去、
・避難所の布団干し(ダニ駆除)、
・漁協の漁具補修
などがあり、実際にどんな作業が割り当てられるかは
行ってみないと分からないとのことでした。
被災地の状況は刻々と変わっており、
何が求められているのかも随時変動します。
なので、ボランティアは作業を選り好みしていられないのです。
(そのため、説明会の内容も、このブログを皆さんが読まれている頃には
 大きく変わっている可能性がありますので、ご承知おきください。)
装備も、何にでも対応できるように準備する必要があります。
基本的に、それは「ヘドロ除去作業が出来る格好」を指します。
・安全長靴
・防水ヤッケ上下※
・ゴーグル
・皮手袋※
・長袖Tシャツ
・ヘルメット※
・ヘッドライト
などが必須です。(※は現地で貸出あり。)
ヘドロの中にはなどが紛れている可能性があるため、
底と爪先に鉄板の入った安全長靴は欠かせません。
普通の長靴の底に敷く「安全中敷」は、現地で貸し出されています。
また、同じ理由によりただのビニール手袋では危険で、皮手袋が必要です。
現地で貸し出される皮手袋は臭そうなので、私は自分で買いましたけど。
(実際、それで正解でした。)
ヘドロには有害物質が含まれている可能性もあるため、
肌を露出させないよう、長袖であることも大事です。
震災で傷ついた家屋での作業ですから、何かに引っかけて
擦り傷・切り傷を作らないとも限りません。
ヘッドライトは、作業中だけでなく日常生活でも必要になるそうです。
被災地ではまだ電気が十分に復旧していないのです。
(なので、携帯電話の充電も、当然持参です。)
なお、スコップなどの道具は、現地で用意されています。
宿泊施設は、最初は石巻専修短期大学を利用していたのですが、
大学が始まってしまい、今は大部分がカスカファッションという服飾系の工場に移ったそうです。
震災直後は、その工場もヘドロだらけになっていましたが、
全部掃除して、拠点として提供していただいたそうです。
(その頃に被災地入りした方々は、雪の降る中でテントを張って生活していたそうです。)
基本的には男女のエリアだけ大雑把に分けられているだけで、
段ボールを敷いた上に雑魚寝です。
なので寝袋が必須です。あと、いびき対策として耳栓も。
食事も出ません。3食自炊です。
必要であれば、ガスコンロも自分で持ち込むことになります。
この食事についてだけは説明会の後変更され、
昼と夜はお弁当が出るようになりました。
スポンサーがついたらしく、往路(長距離深夜バス)の交通費も安くなりましあt。
ゴミの回収などという洒落た都市機能はまだまだ復旧していないので、
自分が出したゴミはすべて持ち帰りです。
ゴミが嵩張らないような荷づくりの工夫が求められます。
チーム分けでは女性二人と組んだのですが、なぜかリーダーにされてしまいました・・・
あまりそういうのには向いていないのですが、
断るのも格好悪いので脊髄反射で引き受けてしまいました。
見栄っ張りな性格なもので・・・
ボランティア規約にサインし、連絡先、緊急連絡先を提出したところで全体の説明は終了です。
次のリーダー向けの説明は、当日までの連絡体系についての説明がほとんどでした。
あとは、熱中症が多いのでメンバーの体調には常に気を配ること、といった注意事項ぐらいでしょうか。
同時に、サブリーダーをしていただいた医系大学の学生さんには、
サブリーダー向けの説明として、作業中に事故が起きた時のための
応急処置の説明を聞いていただきました。
以上で説明会は終了です。
かなり大雑把にまとめましたが、たしか全体で3時間強ぐらいでした。
・・・準備編へ続く

北北東に進路を取れ 【動機編】

2011/6/20 の記事に書いた通り、7/9、10の二日間で宮城県石巻市
復興支援のボランティアに行ってきました。
動機は単純です。
  自分の目で、現場を見てみたかったから。
  自分の体で、災害からの復興という苦労を感じてみたかったから。
それだけです。
震災発生直後から現地入りした人たちには
「被災地の惨状をテレビで見て、居ても立ってもいられなくなって・・・」
というタイプの方が多いようですが、私の場合はちょっと違います。
震災から1ヶ月以上経ち、連日派手な津波映像を流していた報道も下火になってきた5月上旬、
岩手県宮古市の方と会う機会が有りました。
いわく、海岸近くにサメが多く集まっているとのこと。
津波に流されて海面に浮いている遺体はだいぶ回収できているそうですが、
瓦礫と一緒に海底に沈んでしまうと回収はまず無理です。
で、サメの餌になってしまうんですね。
だから、現時点で行方不明扱いになっている人はもう見つかることは無いだろう、
とその人は言っていました。
そんな話は、TVニュースや新聞といった、一般的な報道では目にしません。
(あんまり見てませんけど。)
その話を聞いて、「近代文明の生活インフラが突如として奪われた非日常の世界
に対する興味がわき上がってきました。
報道を通して知る情報というのは、所詮他人のバイアスを通したものです。
何を報道するか、という情報の取捨選択に始まり
どう報道するか、という見せ方に至るまで、多種多様な「意図」を纏った情報です。
同じ日本国内にこれだけの「非日常」があるのですから、
他人の意図など介さない「」の情報を、自分の目と体で「」に得ることを本能的に求め、
近いうちに現地へ乗り込もうと考えるようになりました。
もちろん、被災地へ物見遊山に行っても顰蹙を買うだけですし、
(阪神大震災の時には実際にそういう人もいたそうです。)
非日常の世界の中で自分に何が出来るのかも試してみたかったので、
「復興作業のボランティアに参加する」という選択をしました。
とりあえずWeb上に「ボランティア募集サイト」みないなのを、
誰かがボランティアで作っているんじゃないかと思い検索したところ、
「ボランティアプラットフォーム」というサイトがありました。
そこで自分に出来そうな条件で検索をかけ、
NGOピースボートの、「短期現地派遣ボランティア」の募集を見つけました。
土日の2日間だけで行けるので、私のようなサラリーマンでもなんとか参加できます。
説明会も頻繁にやっているそうなので、まずは話を聞いてみることにしました。
・・・説明会編へ続く