柴田ススムの3.11(2)

東日本大震災から4ヶ月後、私は石巻市にボランディアに行きました。

その時のことは「北北東に進路を取れ」シリーズとして全8回の記事にしていますので、そちらをご覧ください。

 

ボランティアの作業拠点にしていた「あいプラザ・石巻」のすぐ北側、「石巻サンプラザホテル」の駐車場には、陸上自衛隊がいました。

どうやら「入浴支援」か「給水支援」のどちらかをしていたようで、直径数メートルの巨大なお饅頭型の水タンクがありました。
(浄水セットという物かもしれません。)


それが、自衛隊との最初の接点でした。

接点といっても、直接何かをした・されたわけではありませんが。

自分のような短期ボランティアは、所詮は素人集団です。
決して特別な知識・技術・装備があるわけではありません。
やっていることは、所詮「誰でもできること」です。一人一人は「無償」の「有志」なので長期的な活動は難しく、一部の長期滞在している中心メンバーを除き、ノウハウは集積しません。
強みといえば人海戦術ぐらいなわけですが、必ずしも安定して人員を確保できるわけでもありません。そういった問題の無い、高度な「組織力」を持つ自衛隊の活動を生まれて初めて目の当たりにしたことで、興味が湧いたのです。

ただ、本気で入隊しようとは思いませんでした。
「幹部」や「曹」として自衛官を一生の仕事にしたいという程ではなかったので。

1任期(2年間)の「士」(民間企業でいえば、有期契約社員のようなもの)でも、2年間も集団生活を送ることになるのでちょっと抵抗がありました。

しかし、何らかの形で自衛隊と関わってみたいという欲求が芽生え、その後もずっと心の底で燻っていました。

もともと個人主義的性格で、人生のほとんどを「自分のため」だけ考えて生きて来ましたが、その反動もあってか、
東日本大震災を機に「社会のため、公共のためにも何かしたい」と思い始めました。

決して、個人主義から集団主義に宗旨替えしたわけではありません。
中庸にシフトしたわけでもありません。
自分の中に両極端の2つの考え方(あるいは欲求)が同時に存在するようになったのです。

そんな時、「予備自衛官補」の制度を知りました。
聞きなれない言葉でしょうが、「予備自衛官」の「補」です。

そもそも「予備自衛官」とは、普段は自分の生活をしつつ、最低でも年間5日は自衛隊で訓練をこなし、有事の際には招集されて現職の自衛官(予備ではない、という意味で常備自衛官と呼ぶこともあります。)を補完する非常勤特別職国家公務員です。

もともと、予備自衛官になれるのは「一定期間自衛官として勤務した経験者」(元自衛官、略して元自)だけでした。
しかし 2002 年度より、非自衛官経験者でも、予備自衛官補として一定の訓練を受けることで、予備自衛官になれる制度がスタートしました。


もう20年近く続いている制度なんですが、まだあまり社会には認知されていませんね。

予備自衛官も予備自衛官補も、仕事や学業の合間を縫って、あるいは有給休暇を取得して訓練に行かなくてはいけないため、常に「仕事との両立」が問題になります。

私が予備自衛官補になる(そして予備自衛官になる)決心が着いたのは、東日本大震災から数年が過ぎた時でした。
(その頃には、発災時に勤めていた企業から転職しています。)

体力は運動部だった学生時代より確実に落ちているので、訓練についていけなかったら恥ずかしいな〜 とか、ネガティブなことも考えてしまうんですね。

しかしまあ訓練がどの程度ハードなのかもやってみなければ分からないことですし、予備自衛官補の年齢制限の少し手前で「当たって砕けろ!」という気持ちで受験しました。

年齢的には不利だったのかもしれませんが合格でき、所定の訓練を修了して予備自衛官になれました。
以来、毎年5日間の訓練を何度かこなし、それとは別の「特別訓練」にも参加させてもらいました。

そして今、自衛隊の中でさらに次のステージへと進む準備をしています。
それが何なのかはいずれこのブログにも書きたいと思います。

自衛隊に興味を持ってちょうど十年目という節目で、気持ちを新たにしています。

 

最後になりましたが、震災および震災に関連して亡くなられた方々のご冥福、今なお不自由を余儀なくされている方々の生活再建、そして被災地の復興をお祈り申し上げます。

<おわり>