「思い込みが激しい人」とは

先日、ツイッターでバズっているツイートを見つけました。

 

2020 年 08 月 18 日(月曜)に桂大介(@dkatsura)という方が投稿したものです。

一週間弱で八千を超えるリツート・・・
これが “バズっている” と言えるのかどうか、いまいち分かりませんが。

 


桂大介氏がどのような人物なのかは、プロフィールの情報が不足していてよく分かりません。
ですがフォロワーが五十人もいない私からすると、四千人を超えるフォロワーというのはすごい数字です。
私としては、桂氏の見解に全面的には賛同できません。

ただし、部分的には賛同できます。

それは、「思い込みが激しい人は、事実に基づいて検証をする癖が身についていない」という点です。

これについては、全くその通りだと思います。

 

しかし、そのような「思い込みが激しい人」を、本当に「仮説力が高い」と言えるでしょうか?

私はそうは思いません。

仮説力が高いなら、様々な可能性を考慮し、複数の(場合によっては相反する)仮説を立てられるはずです。

仮説が複数あれば、必然的に「その中でどれが正しいのか(全部間違っている可能性も含め)、事実を集めて検証する」というフェーズに移るはずです。

 

そうしない「思い込みが激しい人」というのは、「たまたま自分が一つ目に思いついた仮説に固執しているだけ」です。

そんな人を「仮説力が高い」と呼ぶことに、私は強い抵抗があります。

それは単なる「固執癖が強い」だけの人です。


私がこれまで出会った「思い込みが激しい人」の中には、「自分の仮説を否定する証拠に出てきて欲しくないから、半ば意図的に検証作業を避けているのではないか?」と思われる人もいました。

いわゆる「信じたいものを信じる」というタイプです。

 

そういった「思い込みが激しい人」に対し、「仮説をつくる能力はすごい」とフィードバックすることは、適切ではない気がします。
(できる限りポジティブな表現を用いようとする姿勢には賛同しますが。)

私なら、「それとは全く違う仮説をもう一つ、できればさらにもう一つ、立ててみなさい。」と言います。

 

 

もし、いくら考えてもまともな仮説が一つしか立てられないのであれば、その時点では「検証以前に、仮説の材料となる事実すら不足している」のではないでしょうか。

ごく少数の断片的な事実しか収集できていない段階で、その事実だけを都合よく組み合わせて作った仮説なんぞに、大した価値はありません。

そのことも、しっかり分からせる必要があると思います。