この記事を書くきっかけはISO関連だったのですが、カテゴリーはあえて「ビジネス全般」とします。
あるISOコンサルタントのサイトに、こんなことが書いてありました。
「分厚いマニュアルを作った会社を見習えば、分厚いマニュアルが出来あがります。」
当たり前過ぎて笑っちゃいますが、笑って済ませられる会社は意外と少ないのでは?
これって、ISO以外のあらゆる仕事にも共通していると思います。
頑張ることが仕事だと思っている人がシステムを構築すると、
頑張らないと維持できないシステムが出来上がります・・・・・
月: 2009年2月
管理と監視
会社の現場の業務は、日々動いている。
当然だ。動いてなかったら困る。
それを「管理」しようと思ったら、「管理対象」の変化・変動に合わせて
随時アクションをかけなければいけない。
そうでなかったら、とてもではないが「管理している」とは言えない。
「リアルタイム」であることが重要だ。
そして、そういった日常的変動に対する日常的管理が、
ちゃんと日常的に行われているかどうかの「監視(チェック)」は、定期的で良い。
なにもこれまでリアルタイムで行う必要はない。
やってはいけないわけではないが、
管理との区別がつきにくいし、なにより手間がかかりすぎる。
弊害の方が大きいだろう。
文章にして読んでみれば、至極当然のことのように見えるが、
実際にはこの「管理」と「監視」の区別が付いていない人や企業は多いのではないか。
B'z「孤独のRunaway」を聞きながら
「プロ」って何?
「その仕事で生活が出来る人。」だとか、
「1円でもお金をもらえばプロ。」だとか、
ビジネスマンが100人いれば100通りの「プロフェッショナル像」がありそうだ。
私も長年、「しっくり」くる理屈が見つからずにもがいていたのだが、
ふとした兄との会話がきっかけで、かなり前進できた。
兄は建築設計の仕事をしている。
当然、現場に赴いて「図面通りに作っているか」をチェックするのも仕事のうちだ。
その兄が言う。
「どんなに腕のいい職人でも、報酬が安ければ恥ずかしい手抜き仕事を平気でする。」
つまり、きっちり値段分の仕事しかしないそうだ。
(それはそれでいい腕がある証かもしれないが。)
しかしそれでいいのだろうか?
仕事とは、報酬に対して責任を負うのだから、間違っているとは言えない。
職人の腕を評価せず、不当に値切る方が悪いとも言える。
しかしやはり何か引っかかる。
値段分の仕事しかしない人に、次の「何か」を期待するだろうか?
以前のブログにも書いたが、ビジネスとは基本的に永続性が前提である。
ビジネスそのものが期間限定キャンペーンであってはならない。
その視点が有るか無いかで、仕事の仕方は大きく変わってくる。
何がいいたいかというと、必ず、「次につながる」仕事をしなくてはいけない、ということ。
「その場限り」ではいけないのだ。
値段ぴったりの質の仕事しかしなかったら、顧客としては「まあこんなもんだな」としか思わない。
それだと、次の受注が来るとは限らない。
その水準の他の職人と、比較されてしまう。
「ためしに、今度はあの人に頼んでみようかな。」と思われたらアウトである。
そのためには、たとえ報酬を値切られようと、そのやや上の水準の仕事をしなくてはいけない。
「値段の割に良かったな」という安心感を顧客に与えれば、
「その値段ぴったり」のレベルの同業他社に仕事を取られる心配はない。
逆に、「次はもう少し大きな仕事を任せてみようかな。」と思ってもらえるかもしれない。
少々楽観的かもしれないが、少なくとも、値段ぴったりの仕事しかしなかった場合は
そんな風には思ってもらえないはずだ。
必ずしもこの方法でなくともいいが、常に「次」に繋がる仕事をしていなければ、
「趣味がたまたま上手くいった」のと大差ないのではないだろうか。