柴田ススムの3.11(1)

東日本大震災からちょうど十年が経ちました。

このブログでも「東日本大震災」カテゴリを設けていくつかの記事を書いていますが、この節目に改めて思い返して見たいと思います。
(少々記憶があやしくなっていますが。)

 

ブログを見返してみると、2011年3月中は全く投稿していません。
確か当時は勤務先で輪番停電の対応などがあり忙しく、余裕が無かったんだと思います。
(2011年に入ってからずっと投稿をサボっていますが・・・)

発災後最初の投稿は1ヶ月ほど過ぎた4月9日です。
内容は・・・ 災害とは全く関係ありません。

 


発災時、私は社内(RC造、地上3階建の2階)でいつも通りのデスクワークをしていました。

揺れ出した最初は「お、揺れてる。地震だ。ちょっと大きいな。」という程度に思っていましたが、
すぐ「これはかなり大きいぞ。いつもの地震とはちょっと違うぞ。」となりました。

そしてなかなか揺れが収まらないものですから、
「こんなに長く揺れ続ける地震は初めてだ。いつもの地震とは明らかに違う。
もしや、来る来ると言われてきた首都圏直下型地震がとうとう来たのか?」
という考えが頭をよぎりました。机の下に潜る社員もいたような気がします。

かなり記憶が曖昧なのですが、発災時にはトップの経営陣がたまたま皆外出中で、社内にいた中間管理職陣の中で
一番職位の高い方が指揮し、揺れが完全に収まりきるかどうかというタイミングで避難を始めたように覚えています。

私は社内に避難し遅れている方がいないかを念のため確認し、最後に出ました。
誰かに指示されたからではなく、当時は総務部門に属していたので、それも仕事のうちだと考えていたからです。

もしこれが沿岸部でしたら、いわゆる「津波てんでんこ」が正しい行動なのだと思います。
しかし内陸部なのでそこまでの緊迫感は無く、私も他の社員も、不安に包まれつつも落ち着いて行動していました。

なお、正直なところ私は避難の必要性についてはだいぶ疑問を持っていました。

揺れ幅も持続時間も、おそらくほとんどの社員が生まれて初めて経験した規模だったと思います。
が、流石に建物の倒壊が危ぶまれるほどではありません。
社内で、書架その他の什器が倒れそうになったわけでもありません。(しっかり固定済み)

どちらかというと、外で余震による落下物(周辺建築物の、外壁材・看板・窓ガラス等)に当たるリスクの方が高いのでは?
下手に外に出るより、建物内に留まっている方が安全なのでは?
などと逡巡ながら、指示に従い避難しました。

なお、地震発生時の行動については、ダイヤモンド オンラインの記事が参考になるかと思います。
【高層ビルで大地震に遭遇!外に避難するか、とどまるか】

地震が収まってからも建物前の路上で数分待機し、どうやら安全なようだということでオフィスに戻りました。

この時、私は軽い船酔い状態でした。
もともと乗り物で酔いやすい体質で、豊島園のジェットコースターでも酔います。
しかしまさか地震でそうなるとは思ってもいませんでした。

今改めて確認すると、その勤務先のある地域は「震度5弱」でした。
揺れた時間は、2分を超えていたんじゃないかと思います。

 

その後、その日のうちはずっと地震の対応をしていたと思います。

・外出中の従業員の安否確認
・電車が止まって帰宅できない従業員への対処
等です。

従業員に人的被害は無く、停電も起きなかったと記憶しています。
しかしテレビやネットで流れる津波の映像の凄まじさに、社内は慄然としていました。


その勤務先は北多摩地域にあったので、しばらくして輪番停電が始まりました。

停電予定時間に合わせて社内のサーバーをシャットダウンしたり、
窓際で陽光を頼りに従業員のタイムカードをチェックしたりしていました。

また、この震災を機に社内の PC はデスクトップではなくノート PC を買うようになりました。
バッテリーがあるため、停電があってもしばらく使えるので。

 

私自身は、被災らしい被災はありませんでした。
実家を出て勤務先のすぐ近くで一人暮らしをしていたので帰宅困難になることもなく、
部屋の中で家具が倒壊することも、火事に遭うこともありませんでした。

しかし、東日本大震災は間違いなく私の人生の転機になったと思います。

<つづく>