誰の、誰による、誰のためのマネジメントシステム? <3>

そもそも、「購買先の評価・管理」とは、
事務局がやるべき仕事なのでしょうか?
うちの会社では、購買先の評価は購買先への支払いとも関連しています。
経理(≒総務=ISO事務局)に請求書が届く度に、
発注をした現場の担当者の方にチェックシートを渡して
評価してもらっています。
そして、回収→イントラネット上で公表→年に一度集計 という流れです。
このやり方も、最近疑問に思うようになってきました。
そもそも、ISOを導入する前、「購買先評価制度」なるものが
影も形も無かった頃には、「購買先を評価する」という行為は
行われていなかったのでしょうか?
そんなはずはありません!
ISOなんて縁もゆかりもない企業でも、
日常的にこのような↓会話が交わされているはずではないでしょうか。
Aさん「こないだの○○の案件って、
    たしか××の部分は外注したよね?どこだっけ?」
Bさん「△△に頼んだけど、それが?」
Aさん「こんど俺んとこに○○と似たような仕事が来てさ、
    ちょっと手が足りてないから出来るだけ外注に出したいんだよね。
    △△の仕事ぶりって、どうだった?」
Bさん「いや~ ずっと前に頼んだときは良い仕事してくれたんだけどさ、
    その時の担当者がもう辞めちゃったらしくて、
    こないだの仕事は期待したほどじゃなかったよ。」
いかがでしょう?
この程度の会話なら、どこの企業でもありますよね?
総務や事務局の与り知らぬところで、
ちゃんと購買先の評価はされているはずです。
制度なんて無くたって。
購買先の評価に限らず、ISOの要求事項の多くは、
このような「企業における当たり前の営み」を制度化すれば済むのではないでしょうか。
上記の会話の例では、
・情報は基本的に個人の頭の中
・主観的な評価
・個人間での伝達のみ
という欠点があります。
これをちゃんと制度化することで、
「評価基準を明確にして関係各所で共有出来る。」
というメリットがあるわけです。
そして、基準に引っかかる問題があった場合は、
確実に改善に繋げ、その結果も評価します。
それがマネジメントシステムってもんです。
しかし、個人まかせのやり方がシステマチックになったところで、
行為の主体が「現場」であることに変わりはありません。
情報を出すのも、その情報を共有する範囲も、
情報のメリットを享受するのも、現場です。
会話ベースのものをキッチリ制度化したからって、
主体が現場から事務局に移管するのはおかしいですよね。
そもそも、事務局が立ち入る余地なんて最初から無いんです。
「そうは言っても、現場は現場で忙しいから、
 なかなか帳票作りや制度の運用まで手が回らない。
 そういうことは事務局に担当してもらいたい。」
という意見もあるでしょう。
分からない話ではありません。
しかし、現場を知らない事務局には、審査を通る書類は作れても、
本当に現場から必要とされるものは作れません。
「行為の主体」たる現場の方々に手がけていただくのが、
結局一番良質な制度になるはずです。
書類を書くのが面倒なら、帳票を廃止・簡素化すれば良いのです。
逆に、共有する価値があると思う情報なら、忙しくても書く必要があります。
「他人が書いた情報は見たいが、自分が書くのは面倒だから嫌。」
という考え方は、さすがにNGです。
また、書いた帳票の集計や共有の手法については、
ITを活用してできる限り自動化するといいですね。
→to be continued.