王様は本当に裸だったのか。

アンデルセンの童話の中に、「裸の王様」という有名な話があります。

(内容は大抵の人がご存知でしょうから割愛します。)

 

 

今日ふと、「王様は本当に裸だったのか?」ということが気になりました。

「愚か者には見えない布地」 とやらは、本当に存在しなかったのでしょうか?

布地を持ち込んだ二人の男は、本当に詐欺師だったのでしょうか?

 

 

よくよく考えてみると、その確証はどこにも無く、本当に「愚か者には見えない布地」だった可能性も排除できないような気がしてきました。

 

 

しかしさらに考えた結果、そんなことは実はどうでもよくて、一番大事なのは「王様は裸だ!」と言えることなのだと気づきました。

いろんな意味で。

 

ドボルザークの交響曲第九番

「とーおきー やーまにー ひーはおーちてー」という歌を知らない人は、滅多にいないと思います。

タイトルはそのまんま「遠き山に日は落ちて」です。

ドボルザークの交響曲の第二楽章に、堀内敬三という方が詩をつけたものだそうです。

(その他、同じ曲に野上彰という方が作詞した「家路」という歌もあります。)

 

 

曲として演奏される際には「新世界より」と題されているので、新世界というタイトルの交響曲から第二楽章だけ抜き出してきたので「より」なんだと思い込んでいましたが、交響曲のタイトル自体がすでに「新世界より」だということを最近知りました。

 

 

いやー思い込みって怖いですね。

表現の主体者

たまには時事ネタでも書いてみようと思います。

 

 

池上彰氏が、朝日新聞で連載しているコラムにおいて朝日新聞に批判的な内容を執筆したところ、掲載を拒否されて話題となっています。

(どうやら、結局は掲載されることになるようですが。)

 

 

このことで、朝日新聞社に対して「表現・言論の自由を侵害している」といった批判があるそうですが、この批判が正当なものなのか、私にはちょっと疑問です。

 

 

新聞というメディアを通じて何かを表現しようとしている「主体」は、「新聞社」と「個々の執筆者」のどちらなのでしょうか。

表現の主体者が新聞社自身であるなら、紙面を構成する「部品」としてどのような記事を取捨選択するかは、それこそ新聞社にとっての「表現の自由」のはずです。

また、朝日新聞が文句をつけた対象は、あくまでも(おそらくそれなりの)原稿料と交換に納品された池上彰氏の原稿です。

決して、池上彰氏個人の言論活動自体を妨害したわけではありません。

それを「言論弾圧」と呼ぶのは飛躍し過ぎかと思います。

 

 

もちろん、新聞社の外から新聞社の姿勢を批判することは万人の自由ですし、その新聞を買うかどうかも消費者の自由です。

クラムメディア

資格試験対策の問題集をやっているのだが、問題の選択肢と解答における「有線ネットワーク」が「優先ネットワーク」に誤訳されてた。

(解説文だけは正しく「有線」となっている。)

いや、これはもう誤訳ですらなくて、単なる翻訳者のタイプミスだろ。

勘弁してほしい。。。

 

 

閲覧数

このブログを FC2 から WordPress に移して以降、統計情報をよく見るようになりました。

一日ごとの訪問数を見てみると、平日は休日の数倍あり、如実に差が出ています。

このことから、このブログは主に職場の PC から閲覧されているのだと推察されます。

仕事とは無関係の記事も少なくありませんが、少しは誰かの役に立てているようです。

 

 

 

神田明神

お茶の水の神田明神へ初詣に行ってきました。

混雑しているのはもちろん知っていましたが、想像を遥かに上回る行列(しかも全然進まない)だったので拝殿での参拝を断念。

おみくじだけ買って帰ってきました。

まともに並んだら 2 〜 3 時間はかかっていたのではないでしょうか。

 

 

で、そのおみくじ(小吉)なのですが、なんと裏面に QR コードが!

読み取ったメールアドレスへ空メールを送ると、神田明神モバイルなる会員制サイト(スマホ向け)への案内が届く仕組みのようです。

私は登録してませんが、毎日の運勢や神田祭の動画中継といったコンテンツがあるそうです。

今はこういうところにも Web サービスが浸透しているんですね。

 

決して火曜日だからというわけではないが、ふと、火について考えてみた。

 

 

人類がまだ火を使いこなせなかった太古の昔は、人類が火を目撃するとしたら、稀に落雷などで自然発生する山火事の時ぐらいだっただろう。あとは、さらに稀な噴火ぐらいだろうか。

そんな古代人にとっての火は単に「危険」なだけでなく、現代人からは想像もつかないほど「特別」かつ「不可思議」であり、それゆえに「恐(畏)れる」べき存在だったに違いない。

 

 

では、古代人はいったい何をモチベーションにして創意工夫を重ね、火をコントロールするに至ったのだろうか。

ゼロからスタートし、多くのリスクを冒しながらトライ&エラーを繰り返すことは、20世紀中盤における「月面着陸」よりも遥かに壮大かつ無謀な挑戦だったはずだ。

それなりに強い「動機付け」があったに違いない。

 

 

火を使うことで「夜でも明るい」「猛獣除けになる」「便利な土器を作れる」といった利点が有るが、それらが動機として十分なものだとはどうしても思えない。

古代人を駆り立てた直接の動機は、「うまい焼き肉が食いたい」というシンプルな欲求だったのではないかと思う。

山火事の焼け跡には、逃げ後れた野生動物の「天然の焼き肉」が転がっていただろう。古代人はそれに味をしめ、なんとか自力で焼き肉を作りたいと強く願うようになったのではないだろうか。

古今東西の人類にとって、最も普遍的かつ強力な欲求は「食欲」だと思うので。

 

 

なんてことを考えてみました。ヒマなので。

 

スジエビの捕食

自宅の水槽で、スジエビがヌマエビを捕まえて食べるシーンを目撃しました。

 

 

ヌマエビは、前から近づくと後ろに飛び退いて逃げてしまいます。

さながら瞬間移動のごとく、自分の体長の数倍の距離を一瞬で移動します。

なので、スジエビは背後から接近します。

そして、ヌマエビのを掴むのです。

テナガエビの仲間であるスジエビのハサミはザリガニのように大きくはないので、どうやって獲物を捕らえるのか少し不思議でした。

しかし、鰓を掴まれたヌマエビがどんなに暴れても逃げられずにいるのを見て、納得できました。

 

 

メダカを食べているところも見たことが有るのですが、捕まえる瞬間は見逃しました。

いずれ目撃出来たら書きます。

富士山周遊記 <2日目> 後半

東京への帰途についた途端に自転車のチェーンが外れ、2013年は元旦から早速ピンチに見舞われました。
・・・・これは何かを暗示しているのでしょうか。
本栖湖から国道139号線を南下するルートは概ね下り坂なのですが、一部上り坂があってギアを最低速に入れたら再発してしまいました。しかたなく、手で押して進みます。
運良く、すぐに「道の駅 朝霧高原」に到着しました。時刻は8:40。
ひとまず休憩し、善後策を検討します。

 

 

昭文社のツーリングマップルでは、 "ジャンボな「コロッケ定食」や「肉丼」が人気" とあります。
コロッケ定食は売り切れていたので、肉丼を注文。
この手の施設に多い、レトルトか何かを温めるだけの代物と違い、ちゃんとここで調理しているようです。
また 地産地消 を標榜しており、肉丼の豚肉も、「朝霧ヨーグル豚」なる地元ブランド豚だそうです。
味はまぁ、格別に美味いというほどのものではなかったのですが、日本中どこへ行っても同じような味しかしないレトルト品よりは、はるかに上等と言えます。

 

 

さて、チェーンをどうにかしなくては・・・
挟まったチェーンを手で引っ張ってみたものの、手が真っ黒に汚れるだけで、一向に出てきません。
最悪、自転車はここで廃棄してバスで帰ることも考えましたが、その前に出来る限りの手を尽くします。

 

 

売店をブラブラして土産物を眺め(荷物を増やしたくないので買う気はゼロです。)ながら考えます。
自転車屋があるような市街地まではかなり距離がある。
仮にあったとしても、元日から営業はしていまい。
やはりここで自分の手で直すしかない。
道具も無しにどうやって?
そういや前に修理してもらった時にはどうしてたっけ。
別に、特別な工具で分解していたわけではなかったような気がする。
バールか何かを梃子にしていたような、いなかったような・・・

 

 

とりあえず道の駅の従業員の方に「自転車が故障したので、バールかなにかお借りできませんか?」と尋ねてみると、マイナスドライバー & モンキーレンチが出てきました。
2つの工具であーでもないこーでもないと弄り倒し、15分ほどかかってなんとかチェーンをギアに戻すことが出来ました。
めでたしめでたし。

 

 

両手の平がまっ黒になっているので、食堂隅の洗面台でひたすら洗い続けますが、なかなか落ちません。
肌のほうがカサカサになってきたので諦め、入口で振る舞っている甘酒をいただいて10時半頃出発。

 

 

引き続き、139号線をひたすら南下します。下り坂なので楽なものです。
だいぶ日も高くなり障害物もないため、たいへん綺麗な富士山の全体像を見ることができました。

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しかし気持ちのいい下り坂にも終わりが来ます。
富士宮市に入り、少し迷いながら国道469号線に切り替えて西へ進み始めると、また上り坂になります。
ひたすら手押しで山登りです。
12時頃、海側の景色が開けたところ(おそらく元村山あたり)から、駿河湾と伊豆半島が見えました。

 

 

曲がり角を曲がると新たな上り坂が見える・・・ という無限ループとも思える辛い時間を過ごし、13時半頃に「富士山こどもの国」、「富士サファリパーク」を通過。
富士サファリパークってここにあったんですね。初めて知りました。
その辺が一番高かったようで、その後はお待ちかねの下り坂。
上り坂のストレスを発散すべく颯爽と(といっても、カーブが多いのであまりスピードは出せないのですが。)駆け下り、ひたすら広大な陸上自衛隊富士演習場を横目に御殿場市内へと進みます。

 

 

14:40 に「無添くら寿司」にて昼食。元日から開いているのは大手チェーン店ぐらいですね。
15時半頃出発し、こんどは国道138号線を山中湖へ向けて北上します。
しかしまたも上り坂。半分は歩いていたと思います。
キリンのウイスキー「富士山麓」の蒸留所を通り過ぎたのが、日が傾きはじめた16時。
(ほんとに富士山麓で作っていたとは!)
道の駅 すばしり」についたのは17時でした。
地図で確認すると距離は5kmもないのですが、1時間もかかっています。

 

 

しばし休憩し、もう日も落ちたので宿泊施設を探します。 ところが・・・
ありません。
「道の駅 なるさわ」みたいに、都合よく宿泊施設が隣にあるとは限りません。
従業員の方いわく、少し引き返せば民宿があるが元日から営業しているかはわからないとのこと。

 

 

しかたなく、籠坂峠を越して山中湖へ向かいます。さすがに山中湖ならホテルぐらいあるでしょう。
峠までは、これまで以上に急な上り坂が続きます。
あたりはもうすっかり暗くなっていて、時々追い抜いていく自動車に気を付けながら(まさかこんな時間に自転車を漕いでいる奴がいるとは思っていないでしょう。)曲がりくねった道をトボトボと進みます。

 

 

ふと空を見上げると、都会ではまず見ることのできない 満天の星空 でした。
周囲に街の灯りが全く無い山の中のため、牡牛座の ヒアデス星団 までよく見えます。牡牛座の頭なんて、東京ではかろうじて「Vの字」が分かる程度にしか見えませんが、本当はもっと多くの星があったんですね。

 

 

苦労して峠を越した後は、山中湖まで一気に駆け下り、とりあえずジョナサンで夕食を食べます。
そこから湖に沿って西に進み、「山中湖畔荘 清渓」を見つけたのが19時半。
NHK以外に2チャンネルしか映らないことに衝撃を受け、さっさと寝ました。

 

 

2日目の移動距離は約90km。
初日よりは短いのですが、疲労とアップダウンのおかげで、同じ位に感じました。
つづく。

富士山周遊記 <2日目> 前半

寝ている間に新年を迎え、朝4時半起床。

5時半前に出発した時にはまだ真っ暗で、星もよく見えました。

 

 

昨日の続きで国道139号線を西(本栖湖方面)へ進むのですが、紅葉台を過ぎてからは概ね下り坂だったと記憶しています。国道の両脇は鬱蒼とした樹海で、暗い夜に走ると独特の雰囲気があります。精進湖を過ぎて南下し始めたころには空が白み始め、星も見えなくなります。

道路脇の電光掲示板によると、気温はマイナス9~11度。自転車の前カゴに入れておいたアクエリアスが、走っている間に凍っていました。

 

 

 

本栖湖も通り過ぎ、6時半頃に本栖ハイランドに到着。入場料は1,000円です。

日の出は8時過ぎと聞いていたので、早く着き過ぎたことを軽く後悔しました。寒い中で1時間半も待たなくてはいけません。どうせならあと1時間寝ておけば良かった・・・

竜神池沿いの最前列ポジションは既に先客(いかにも高級そうなカメラを携えた本格派の人たち)によって占められていたため、すこし下がったやや高い位置に陣取ります。

池が凍っていてダイヤモンド富士が映らないので、放水&人力で地道に氷を取り除いています。ボート(1隻しかない)で池に漕ぎ出し、オールで氷を割るのですが、とても大変そうでした。もうちょっとこう、効率的なやり方はないものかと思います。

 

 

待つ間は非常に長く感じました。特にすることもないので。ただただ寒いだけです。

充電器を家に忘れてデジカメのバッテリーも残り僅かなので、ぎりぎりまで電源を入れられません。

そうこうしているうちにツアー客などがゾロゾロと集まりはじめ、賑やかになってきました。

 

 

7時半頃にはかなり明るくなってきました。富士山の東側ではすでに日が昇っているのでしょう。

7時45分頃には背後の竜ヶ岳が中腹まで明るく照らされています。つまりそこにいる人からはすでに日の出が見えているということです。

天気はおおむね晴れていて富士山自体もはっきり見えているのですが、ちょうど山頂の向こう側に雲があるのが残念でした。雲が下から照らされて明るく光るため、正確な日の出のタイミングが掴みづらいのです。

 

 

眩しいのを我慢して山頂を凝視し、8時1~3分にかけて何枚かダイヤモンド富士を撮影しました。そのうちの1枚がこちらです。山頂の真ん中よりやや右側から出ていますね。

 

 

さて目的のダイヤモンド富士を見終えたら、あとは東京に帰るのみです。

4日から仕事なので、できれば2日までには帰りたい。でも来た道を引き返すだけではつまらないので、富士山の南側をぐるりと回って帰ることにしました。引き続き、国道139号線を南下します。

ここでアクシデント発生。 「道の駅 朝霧高原」の手前で、また自転車のチェーンがギアの内側に入り込んでしまいました・・・

 

つづく