決して火曜日だからというわけではないが、ふと、火について考えてみた。

 

 

人類がまだ火を使いこなせなかった太古の昔は、人類が火を目撃するとしたら、稀に落雷などで自然発生する山火事の時ぐらいだっただろう。あとは、さらに稀な噴火ぐらいだろうか。

そんな古代人にとっての火は単に「危険」なだけでなく、現代人からは想像もつかないほど「特別」かつ「不可思議」であり、それゆえに「恐(畏)れる」べき存在だったに違いない。

 

 

では、古代人はいったい何をモチベーションにして創意工夫を重ね、火をコントロールするに至ったのだろうか。

ゼロからスタートし、多くのリスクを冒しながらトライ&エラーを繰り返すことは、20世紀中盤における「月面着陸」よりも遥かに壮大かつ無謀な挑戦だったはずだ。

それなりに強い「動機付け」があったに違いない。

 

 

火を使うことで「夜でも明るい」「猛獣除けになる」「便利な土器を作れる」といった利点が有るが、それらが動機として十分なものだとはどうしても思えない。

古代人を駆り立てた直接の動機は、「うまい焼き肉が食いたい」というシンプルな欲求だったのではないかと思う。

山火事の焼け跡には、逃げ後れた野生動物の「天然の焼き肉」が転がっていただろう。古代人はそれに味をしめ、なんとか自力で焼き肉を作りたいと強く願うようになったのではないだろうか。

古今東西の人類にとって、最も普遍的かつ強力な欲求は「食欲」だと思うので。

 

 

なんてことを考えてみました。ヒマなので。