「スポーツ」という名のスポーツは存在しない。

雑草などという草はない」とは、漫画「覚悟のススメ」の主人公、
葉隠覚悟の台詞としてあまりにも有名ですが、
実は昭和天皇の言葉が元ネタなんですね。
いやいや別に漫画や皇室の話をしたいわけではありません。
タイトル通り、スポーツの話です。
大相撲ファンの方が書かれている某ブログで、一部の観客の応援スタイルを問題視していました。
具体的に言うと、最近魁皇ファンから広まった「コール」のことです。
それを「伝統的な美が崩れる結果となってしまった。」とかなり否定的に評価しているのですが、
私はその記事の中の全然違う部分が気になりました。
記事の中に、「・・・相撲が只のスポーツではなく・・・」という記述があり、そこに強い違和感を覚えたのです。
スポーツとは、「特別な相撲」と「特別でない只のスポーツ」に、二分することが出来るのでしょうか?
相撲が特別な存在であることは否定しません。
しかし、相撲に限らず、野球でもサッカーでも柔道でも、固有の歴史と、そこから来る特徴を持っているはずです。
であれば、相撲が特別なのと同様に、あらゆるスポーツはそれぞれ特別なのではないでしょうか。
そう考えたとき、もう一つの疑問が湧いてきました。
そもそも「スポーツ」って何だろう? と。
おそらく多くの人の認識では、まず最初に「スポーツ」という大きな枠があり、
その中に"水泳"や"カバディ"といった各種の競技が含まれているものと思われます。
しかし、本当にそうなのでしょうか。
セパタクローもラクロスも、それぞれ独自に発達してきた、相互に独立した文化です。
それらを客観的に俯瞰すれば、スポーツという大きな枠に収めることも出来るのかもしれませんが、
それは決して、それぞれの文化の本質ではありません。
人類がその発祥以来、世界各地で発達させてきた様々な"文化"は、
それぞれが多くの側面を持った多面的な存在です。
その中でも、たまたま「スポーツ性」という側面を大なり小なり有している文化が、
まとめて「スポーツ」という大枠に放り込まれているだけなのではないでしょうか。
すると次に、「じゃあ"スポーツ性"って何?」という疑問が湧いてくるわけですが、
それについて考えるのはまたの機会にしたいと思います。
お わ り