北北東に進路を取れ 【二日目編】

二日目の朝は、思ったより早く訪れました。
朝日の明るさで目が覚めてしまったのです。たしか5:15頃でした。
十分とは言えない睡眠時間ですが、昨日よりはだいぶマシです。
30分ぐらいゴロゴロしていたのですが、二度寝も出来ず、
周りも起き出しているので諦めて私も起きることにしました。
朝の集合は7:40なのでまだ時間はありますが、やることもあります。
まずは朝飯。ケ○ッグのシリアルをそのままボリボリやって、ミネラルウォーターで流し込みます。
ほぼ一袋食べました。
それから、作業の準備と荷造りです。 なぜ荷造りが必要かと言いますと・・・
私はサラリーマンなので、翌日は会社があります。なので今晩中に帰京する必要があります。
本日の作業後、いったん宿営地に戻ってから仙台駅行きのバスに乗るのですが、あまり時間に余裕が有りません。
なので、朝のうちに帰る準備をある程度整えておく必要があるのです。
グラウンドに全員で集合し、ラジオ体操をしてからバスに乗って各活動拠点へ移動。
私のチームは、昨日と同じ「あいプラザ・石巻」です。
なぜか全体でアンパンマンの歌を歌ってから、他の2チームと共に「側溝のヘドロ除去」の現場へ行きました。
側溝のコンクリート製の蓋は重いので、専用の道具を使って二人がかりで持ち上げます。
私たちは「側溝すっぽん」と呼んでいたのですが、本当の名前は分かりません・・・
ハサミのよう形状で、爪を側溝同士の継ぎ目の隙間に挿しこんで持ち上げるものです。
ハサミの「梃子」を利用し、持ち上げる力が同時に挟む力にもなっています。
値段は十万円ぐらいすると聞きましたが、本当でしょうか?
なかなか持ち上がらない蓋もありました。
固定されてはいませんが、泥が詰まってカチカチに固まっていると、揺すっても叩いてもビクともしません。
そういうところは諦めました・・・
蓋が外せたら、あとはひたすらヘドロを浚うのみです。
狭い場所での作業なので、少し小振りの角スコップの方が、大型のモノより楽でした。
「鋤簾」(じょれん)なる専用の道具も使いましたが、ヘ
ドロが乾き過ぎていたり、逆にビチャビチャだったりすると使いづらいですね。
大部分のヘドロを掬ったら、最後は手持ちの小型シャベルで仕上げます。
ついでに、デッキブラシで蓋やその台の部分に積もった泥も落とします。
たぶん震災前より綺麗になってます。
なお、土嚢袋に目一杯ヘドロを詰め込むと、重過ぎて運びにくいので加減が必要です。
私たちは、高さ30センチ程度のあまり大きくないバケツに土嚢袋をかぶせて使いました。
こうするとヘドロを入れやすく、なおかつちょうどいい量でいっぱいになるのです。
日陰側の側溝はすでに済んでいるため、作業するのは日向側・・・
直射日光を全身に浴びながらの作業(しかも長袖長ズボン)は、初日の作業よりはるかにキツイものでした。
あまりの暑さに、休憩時には「奥の手」であるパンチクールを使いました。
実家近くのいなげやで買った、叩くと冷えるヤツ@98円です。
本来は熱中症になった人のための救急用品でしたが、自分がそうなりそうだったので使っちゃいました。
10時15分ごろ、私の体では感じなかったのですが、余震が有りました。
他のメンバーが気付き、いったん建物から離れて作業中断です。
特に危険はなさそうなので作業を再開すると、今度は津波注意報が出ました。
警報では無いのでまあ良かろうと判断してしばらく作業を続けるうちに、ヘドロの少ない場所に行きあたりました。
近所の方の話によると、そこはもう作業済みの区画なんだそうです。
ということは、うちのチームの担当分はこれで終了、と言うことになります。
ちょうどそこへピースボートの方が来ました。「念のため避難する。」とのことです。
作業道具は置いておき、側溝の蓋も開けたまま、あいプラザ・石巻の屋上へ上りました。
注意報が解除されるまではここで待機です。
皆、少ない日陰にもぐりこんで休みました。
↓その時に屋上から撮った写真です。


結局、解除されたのは12時前になってからでした。
屋上から下り、昼食のおにぎりを食べてから、午前と同じ3チームで別の現場へと向かいました。
午後の作業は、ある民家の庭に堆積したヘドロの除去です。
家屋の床下に溜まったヘドロは除去済みで、家主の方は2階で生活されています。
ヘドロはもうカピカピに乾いていて、厚さは3センチ程度
正確に言うと、表面1センチの層とその下の層に、なぜか分かれていました。
表面の層はバリっと剥がせるのですが、下の層は庭に元々あった砂利と一体化していて難儀しました。
ヘドロだけを除去するのはほぼ不可能なので、砂利もだいぶ一緒に捨ててしまいました
さすがにスコップなどでガバっと掬うわけにはいかないので、全員で庭にかがみこみ、
手持ちシャベルないし手で、ひたすらヘドロを剥がし続けます。まさに人海戦術です。
ここも日差しを遮るものがなく、キツイ現場でした。
作業時間が短く、とても庭全体は終わららなかったのですが、出来た分を以て良しとしました。
全体への説明でも何度か言われたことですが、今日やり残したことがあっても、
それは必ず後から続くボランティアが引き継いでやってくれます。
自分の手で目の前の被災地を全て救おうだなんて、気負わなくていいんです。(どうせそんなの出来っこない。)
無理をして、怪我や熱中症などの事故を起こしてしまっては逆効果です。
周囲に、「被災地は危険なんだ。」というイメージを与えかねません。
14:30に作業を終え、家主の方から被災当時のお話をお聞きして、現場を後にしました。
朝用意した2.5リットルの水を、半日で全て飲み干すほど暑い日でした。
もっと用意しても良かったと思います。
その後は洗い場を経て宿営地へ戻り、荷物をまとめて17時過ぎには仙台駅行きのバスへ乗り込みました。
(このバスも、ピースボートが手配しているものです。)
仙台駅に着いたのは18時半ごろで、それから新幹線で帰京。
強行軍の二日間でしたが、私のチームで事故を起こさずに済んで安心しました。
全体でも、初日にすこし体調を崩した(おそらく軽い熱中症)人がいたのと、
側溝の蓋に指を挟んで血マメを作った人がいたぐらいで、大きな事故が無くなによりでした。
今後も、何らかの形で被災地の支援に行きたいと考えています。