明けましておめでとうございます。
つたないブログにお付き合いいただき、ありがとうございます。
今年もよろしくお願いします。
「物言う株主」とやらが一世を風靡して以来、
「会社は株主のものである」という認識が広まっている。
(そういえばあの人、今はどこで何をしているんでしょうね・・・)
それに対して、逆に、「会社は従業員のものだ」とか、「いやいや全ステークホルダーのものだ」
という意見も出ている。
それらのどれも、間違ってはいない。しかし、どれも私にはしっくりこなかった。
精神論や建前論ばかりが流布していて、どうも理論的に納得出来ない。
そこで、自分なりに考えてみた。
そもそも、会社は何から成り立っているか?
12/1にも書いたが、「人」そして「金」である。
これらのうち、「金」は、ほぼ出資者(株主)のものと言ってもいいだろう。
会社が自分で稼いだお金もあるだろうが、
それだって出資者からの出資が「元手」になっているはずだ。
では、「人」はどうだろう?
「人」は株主のものだろうか? 断じて違う。 当然だ。
「人」は、各個人の、自分自身のものである。
そして企業内の「人」は、二種類に分けられる。
「経営者(経営層)」と「従業員」だ。 彼等の役割は明確に違う。
経営者は経営判断を下し、従業員は労働力を提供する。
◆経営者は、いかに経営センスと事業アイデアがあっても、
自分の体一つではビジネスを大きく出来ないので、
足りない資源を埋めるために出資を募り、従業員を雇う。
◆従業員には、投資するだけの資金や経営センスも事業アイデアも無いので、
日々の糧を得るため、会社に労働力を提供してサラリーを得る。
◆投資家は、投資に回すお金はあっても、自身で事業を起こす
経営センスや事業アイデアが無いので、それらを持った経営者に「出資」という形で託す。
つまり、「会社」という組織は、これら3者が「自分に足りないもの」を
互い埋め合うために寄り添うことで、初めて成立するのだ。
「会社」にあえて所有権を設定するなら、これら3者ということになる。
(経営者だけは、その気になればすべてを兼ねることができる。
その場合は事実上の個人商店であり、会社を拡大することは出来ない。)
そして、少し視野を広げ、会社を静的な組織でなく、
動的な事業体として考えるなら、ここに「顧客」が加わる。
会社という組織が永続的に存続するには、顧客から対価を得ることは不可欠である。
顧客は、自分自身では、自身に必要な製品やサービスを産み出すことが出来ないので、
それを提供している企業に「対価」を払ってそれを得る。
これもやはり、「自分に無い点を埋める」行為と言える。
ここでいう「顧客」とは、将来対価を払ってくれるかもしれない潜在顧客も含む。
間接的かもしれないが、会社を10年だけ経営して畳むつもりでなければ、
潜在顧客の存在も重要なはずだ。
今の事業を未来永劫続けられるとも限らないし、
今の顧客が未来永劫取引を継続してくれる保証もどこにもないのだから。
【結論】
企業は、経営者と従業員と株主と顧客と、将来にわたっての潜在顧客のものである。
つまるところ、「社会全体」のものである。