必要な「ゆとり」と、不要な「無駄」

私の知人A氏は、公務員をしています。
公務員と言っても様々ですが、中央省庁のいわゆる高級官僚ではありません。
市役所の職員です。

ある時、共通の知人B氏が市役所を訪れた際、たまたまA氏を見かけたそうです。

B氏曰く、仕事中のA氏の印象は「なんか暇そうだった。」とのことでした。

たまたまその時暇だったのか、ホントに常に暇なのか、暇ではないがそう見えただけなのか、確かめる術はありません・・・

実態はさておき、自治体の職員に対して「そんなに仕事してない」というマイナスイメージを持っている人は少なく無いと思います。
(その先入観が、B氏の判断にバイアスをかけた可能性もあります。)

そんなA氏ですが、先月の台風19号の際には24時間以上働き詰めだったそうです。

 


報道を見ていると、大きな災害の際には、自衛隊や福祉団体の活動に注目が集まりやすいように思えます。

しかし、彼らが活動する「危険な状況での救助・捜索活動」や「高度で専門的な被災者支援」などの領域は、公務員が「災害対応」として行う活動全体の中のでは、ごく一部ではないでしょうか。

おそらく、大部分の活動は無名の自治体職員によって支えられています。

彼らの活動内容は、特段危険でも高度でもないかもしれません。
地味過ぎてニュースとしての価値が低いから、あまり報道されないのかもしれません。

が、決して重要性が低いとは思いません。

平時には暇そうにしている余剰人員であっても、非常時には必要なのだと思います。

もし、平時の業務量を基準として自治体の人員構成を合理化・最適化してしまったら、非常事態に対応できなくなってしまいます。
それでは自治体としての役目を果たせているとは言えません。

これは、企業にも当てはまりるのではないでしょうか。

 

さて本題に入ります。

私は以前から「ゆとり」と「無駄」の違いは何だろうかと悩んでいましたが、上記A氏のことがヒントになり、答え(らしきもの)が見えてきた気がします。

常に業務量が一定なら人員計画も楽なのでしょうが、そうはいかないのが世の常です。
なので、ある程度は「突発的業務量増加」を想定しておく必要があります。

過去にそういった非常事態が実際に発生した実績(頻度)を考慮して、人員に「ゆとり」をもたせておかなければ、「何かあるごとに全員の仕事がパンクする」ことになります。


人員に「ゆとり」を持たせれば、結果として通常時は全体的にあまり忙しくなく、バタバタしている人はほとんどいないことになります。

じゃあそれは「無駄」なのかと言うと、違うと思います。

そう、「ゆとり」と「無駄」の違いは、「そこに計画があるかどうか」だと思うのです。

 

もし「いつも暇そうだし、非常事態になっても特に何かの役にも立つとは思えない」ような計画外の人員がいるとしたら、それは「無駄」と言っていいかもしれません。

もちろん、どの程度の非常事態を想定するかによっても、必要な「ゆとり」は変わってきますが。