文明と文化

日本にはかつて、夜這いという文化があったそうです。

夜這いを文化と呼ぶかどうかは異論があるかもしれませんが、とにかくあったそうです。

でも今は(おそらく)ありません。

そんな夜這い文化(?)の貴重な生き証人に取材した記事がありました。
 





   




   

 

詳しくは「夜這いって本当にあったの?経験者に聞いて実際に夜這いをやってみる」を読んでください。

 

 

別に今回のテーマは夜這いではありません。

記事中の「文明が文化を食った!」というフレーズがとても印象に残ったので、「文明とは何か?文化とは何か?」ということを考えてみることにしました。

どちらの概念も、抽象的かつ複数の概念を包含しているように思えます。

そこで、「削ぎ落とせるものを限界まで削ぎ落とし、最後に残ったものが本質だ」という考え方をしてみた結果、「文明とは、技術(テクノロジー)そのもの」であり、「文化とは、技術の使い方」だという結論に至りました。

もうちょっと噛み砕いて言うと、「文明とは、何が出来るか(何が出来ないか)」で、「文化とは、出来る範囲で何をするか」となります。

我ながら、かなり乱暴な定義です。

違う考え方だって当然あるでしょうし、同じように考えて違う結論に至る人もいることでしょう。

 

 

上述の生き証人によると、夜這いという文化が廃れた原因について、「明かりが村に来てからは廃れた。明るいと見つかるからね。全ては電気のせいだな!」との見解を示しています。

もちろん、電力が無い時代にも何らかの「灯り」の技術はあったはずです。(菜種油など)

しかし、「輝度」・「照射範囲」・「コスト」などの面で、電力による照明とは比べ物になりません。

電力の普及というイノベーションを経た現代から見れば、当時の人々は大きな「技術的制約」の中で暮らしていたわけです。

(もちろん、当時の人々は自分たちが技術的制約の中にいることなど自覚していなかったでしょうが。)

そして、いつの時代の人間も、制約の中で「出来ること」を精一杯活用し、人生を楽しむための工夫を凝らします。

その結果として「夜這い」という文化が発展したのでしょう。

 

 

きっとあと100年もしたら、現代の様々な文化もまた、「100年前の人達ってこんな制約の中で色々工夫してたんだな〜」と思われているはずです。